女性漫画家の草分け的存在である水野英子(ひでこ)さん(83)の代表作「ファイヤー!」の復刻版が、文芸春秋から上下巻で刊行された。テーマは、半世紀以上前の漫画では異例のロック音楽。「伝説の衝撃作」と呼ばれた同作の復刊は23年ぶりだ。「連載を始めたのは54年前で、私も若かった。この時代の思いや空気を描き残すために、とにかく突っ走ったんです」。〝トキワ荘の紅一点〟としても知られる水野さんは、こう振り返る。
60年代の空気
作品の随所から濃厚な「時代の空気」がにじむ。
舞台は1960年代の米国。犯罪者と疑われ、感化院に送られた主人公のアロンはそこで、リーダー的存在のファイヤー・ウルフが奏でる音楽に心を奪われる。連載が始まった昭和44(1969)年当時はベトナム戦争が継続中で、世界の若者の間で反戦機運が高まっていた。作中のウルフも兵役を拒否し、警察官に追われ死亡する。
水野さんも当時、世界を席巻していたロックにのめり込んだ。約1カ月にわたり欧米のライブハウスに入り浸り、生のロックと若者文化に触れた。帰国後に描いたのがこの作品だ。
「当時はロックの百花繚乱(りょうらん)の時代で、体制への反発という強烈なメッセージを持った音楽でした。彼らの歌を聴いて、自分が今まで疑問に思っていたことが全部初めて言葉になった、という感覚を覚えましたね」
ウルフのギターと〝魂〟を受け取ったアロンは、出所後に仲間たちとバンド「ファイヤー」を結成。スターダムを駆け上がっていく。女性漫画誌の連載としては珍しく、人種差別などの社会問題やメンバーの奔放な女性関係まで描いた。アロンも理想と商業主義との間で苦悩を深めていく。
「当時はこれほど激しい漫画はなかった。今までのやり方では表現できないと思い、内容もタッチも以前とガラッと変えたら、ファンレターが全く来なくなりました。ただ、その後は怒濤(どとう)の如くファンレターが復活しましたし、男性読者も飛躍的に増えましたね」
ベトナム戦争が終結してから間もなく半世紀。だが、今もウクライナを巡り世界は揺れ動いている。
「(復刊にあたり)私も一度読み返したら、なかなか格好いいじゃん―と感心しました。今の読者はもっと多様なテーマに慣れています。前よりは少し違う感触で受け入れてもらえるのでは、と期待しています」
手塚治虫に衝撃
小学生の頃、手塚治虫の作品に衝撃を受け、漫画家になろうと決心した。昭和30年、15歳でデビュー。上京後の33年には漫画家が集うアパート「トキワ荘」に入居し、後に巨匠となる石ノ森章太郎や赤塚不二夫らと交流を深めた。
「漫画に情熱を持った人たちが集まっていたわけですから、とにかく楽しかった。こんな素晴らしいところはなかったですよ」
「少女漫画」というジャンルを確立した漫画家の一人とされる。35年の「星のたてごと」で、少女物に恋愛の要素を初めて本格的に取り込んだ。39年には少女物で初の歴史作とされる「白いトロイカ」を発表。壮大な作風や後進の漫画家に与えた影響の大きさから「女手塚」の異名もある。
デビューから70年近くの歳月がたつ。「気持ちは18歳の頃と変わらないけど、体の方がついていかない。腰痛などで作品を描き続ける条件がそろっていないのが残念です。ただ、長編のアイデアは何本もあるし、短編や中編は山ほどあります。漫画を描くのが本当に好きなんです」
空白の20年を記録に
水野さんは執筆の一方、デビュー後の昭和30年代を中心にした少女漫画を記録する作業も手掛ける。「少女漫画は『リボンの騎士』(昭和28年開始)と『ベルサイユのばら』(47年開始)との間の約20年が〝空白〟なんです」と語る。
「少女漫画には値打ちがないとされた時代があり、記録どころか『悪書』ということで、焚書(ふんしょ)みたいに焼き捨てられた時期もありました。ただ、その頃に私たちが少女漫画の基礎を作ったと思っています。当時の記録を歴史に残さないといけないと思いました」
今年5月下旬には、水野さんをはじめ当時活躍した漫画家の過去の座談会をまとめた書籍「少女マンガはどこからきたの?」(青土社)が刊行予定だ。
「私が言い出しっぺなので、何とかやらなきゃいけない。少しでも〝空白〟を埋めるものになれば、と思っています」