蘇った「村神様」がサヨナラ打 50回超屋根破壊の怪童時代

メキシコ戦の九回無死一、二塁で逆転サヨナラの2点二塁打を放った村上=20日(日本時間21日)、マイアミ(共同)
メキシコ戦の九回無死一、二塁で逆転サヨナラの2点二塁打を放った村上=20日(日本時間21日)、マイアミ(共同)

悩める主砲が劇的勝利に導いた。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝で日本代表は20日(日本時間21日)、メキシコを破り、14年ぶりの頂点に王手をかけた。サヨナラ適時打を放ったのは若き三冠王、村上宗隆(23)。大会では好機での凡退が続き「何度も悔しい思いをした」。それでも己のバットを信じ、力の限り振り抜いた。「怪童時代」を知る地元関係者は待望の復活劇に「さすが『村神様』だ」と喜びを爆発させた。

この日、第1打席から3打席連続三振を喫し、険しい表情が目立った村上。1点差で迎えた九回、中越えにサヨナラ二塁打を放ち、列島を歓喜の渦に包んだ。「チーム一丸となって勝てた」。試合後のインタビューでほおを緩ませた。

地元・熊本ではこんな伝説が残っている。「畑作業をしていると、空からボールが降ってきて、とても危なかった」。今から約10年前、熊本県益城(ましき)町のグラウンド近くに畑を所有していた浜田雅之さん(77)は、柵超えの特大ホームランを畑に何度も打ち込む中学生のことをよく覚えている。それが村上だった。

グラウンドは村上が中学時代に所属していた硬式野球チーム「熊本東リトルシニア」の練習場所。ホームベースから畑までは85メートル以上離れていた。そこまでボールを飛ばす中学生は、後にも先にも村上だけだ。

相次ぐ「被弾」に、浜田さんも動いた。「村上対策」として、高さ20メートルの防球ネットを畑付近に設置。だが、村上の打球はネットを軽々と飛び越え、農機具が入った小屋の屋根を何度もぶち破るようになった。

屋根が壊れると、チームの担当者が修理費を持って謝罪に来た。だが相次ぐ「破壊」に、やがて当番の保護者が自ら屋根を修理したり、浜田さんが畑のボールを集めてチームに返却したりすることが定着。「知る限り50回以上壊れたが、修理してくれるので全く支障はなかった」。浜田さんは笑顔で振り返る。

中学時代の村上宗隆が放ったホームランボールを今も大切に持っている浜田雅之さん=20日、熊本県益城町(浜田さん提供)
中学時代の村上宗隆が放ったホームランボールを今も大切に持っている浜田雅之さん=20日、熊本県益城町(浜田さん提供)

一体どんな選手なのか。当時、村上の名前も顔も分からなかったが、少しずつ関心を持つようになった浜田さんは、チームのコーチに尋ねてみた。その答えは「とにかくすごいバッターです」。毎週のように高校のスカウトが練習を見に来ていたのも知っていた。「地元からプロ野球選手が出るかもしれない」。ひそかに期待が膨らんだ。

そんな村上がドラフト会議でヤクルトに1位指名された瞬間は感慨深かった。「あの打球を飛ばしていた中学生がついにプロ野球選手に…」。ヤクルトの試合中継がある日は必ず、妻と一緒にテレビで観戦するようになった。チームに返しそびれ、バケツいっぱいに積まれた40個のボールは、今となっては何よりの宝物だ。

高卒2年目で新人王に輝き、スター選手の仲間入りを果たした村上。令和元年のある日、村上の父が「屋根を壊してしまったおわび」として、村上のユニホームや色紙をプレゼントしてくれた。

WBC開幕後、全ての試合をテレビで観戦している浜田さん。不調が続いていた村上を思い、「とても胸が痛かった。それでもいつか必ず打ってくれると信じていた」。屋根を壊された恨みなどまったくない。あの日、地元で見せたような仰天弾を決勝でも放つことを願っている。(木下未希)

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