《北朝鮮が用意したのは旧ソ連製の航空機「イリューシン」だった。首都平壌を目指し、テリーさんを乗せたチャーター便が名古屋空港(現・県営名古屋空港)を離陸する》
離陸した瞬間は、この先どんなことが起こっても全て受け入れる覚悟でした。早速、ハプニングがあって、「都合により元山(ウォンサン)に着陸します」って。たぶん機内放送は日本語だったと思います。北朝鮮のスチュワーデスさんて、やっぱエリートなんだなって思いましたね。
平壌に行く予定だったんですけど、元山に突然変更になるんです。後日分かったんですけど、実はそのときに、平壌にロシアの高官が来るんで封鎖してたんですよ。だから俺たちみたいな一般の観光客は元山に飛ばされちゃった。
みんなは「えっ、平壌行けないの?」って不安がってましたけど、僕は大喜び。「やったぁ!」と思いましたね(笑)。
元山に着陸したら、「ミグ」戦闘機が駐(と)まっているんですよ。「うぉー! ミグだ!」って言って、近づいていって写真を撮ろうと思ったら「撮るな!」「撮らないで、撮らないで」って言われたんです。
なぜかっていうと、それが張りぼてだったんです。木製で。張りぼての「ミグ」。それがおかしくて。すごいでしょ?
だから、僕らの常識を超えてるんです。平壌に着いたら、建物のガラス、ゆがんでたんですよ。ガラスはまっすぐだと思うじゃないですか。防音とか断熱もないんです。内装もコンクリートにいきなり色を塗ってるんですよ。道路は兵隊が作ってましたからね。
《テリーさんは軍服を着た兵士に臆することなく、ピースサインで「ツーショット」の記念写真を撮影。ホテルに着いてからも、夜の街に繰り出し、積極的に取材を敢行した。もちろん、通訳が「監視役」として常に付いてきた》
とにかく意外なことだらけですよね。バスに乗って街を見ると、休みの日なんか、みんな河原でピクニックしてるんですよ。日本だったら、ピクニックするのって若い人とかじゃないですか。でも北朝鮮は年齢を問わないというか、家族みんなでピクニックをしてるんですよ。おじいちゃんもお孫さんもみんなで楽しんでいる。これはちょっと印象的でしたね。
日本の歌謡曲もあって、向こうでは、大津美子(よしこ)さんの「ここに幸あり」がいちばん人気でしたね。バスガイドみたいな人が歌ってくれるんです。
僕らは高麗ホテルっていうところに泊まったんですけど、サウナに行くと、平日の昼間に20代くらいの若い男性がいるんですよ。高麗ホテルっていったら一流ホテルですよ。「こいつなんで、平日のこんな時間からサウナ入れるんだろう」って(笑)。朝鮮労働党幹部の息子なのかなとか、そういうことを考えて、おもしれえなあって思いましたね。
《昭和45年3月31日、共産主義者同盟赤軍派のメンバー9人が羽田発福岡行きの日航機「よど号」を乗っ取り、乗客・乗員129人を人質に北朝鮮行きを要求した日本で最初のハイジャック事件。テリーさんはホテルで、その犯人と遭遇する。北朝鮮に亡命した後、平壌の「日本人村」で共同生活を送っている若林盛亮(もりあき)容疑者=国外移送目的略取などの容疑で国際手配=だ》
彼らがホテルのロビーにいるんですよ。俺たちを目当てに来てたんです。久しぶりに日本人に会えるから。「あ、テリーさんでしょ」って声をかけてきたんです。(聞き手 大竹直樹)