「舞鶴ショック」-。京都府舞鶴市で2月5日に行われた市長選の結果が波紋を広げている。4選を目指す自公推薦の現職を破ったのは、日本維新の会京都府総支部が単独推薦した元市議の鴨田秋津(かもだ・あきつ)氏(41)。維新が単独推薦する候補が市長に当選したのは、大阪府外では初めてとなった。京都府北部の地方都市で、なぜ維新系の市長が誕生したのか。
維新が掲げる「身を切る改革」を旗印に戦った鴨田氏。警視庁警察官や建設会社社員を経て、平成30年に同市議に初当選。令和4年6月から維新の舞鶴市支部長を務め、11月の市議選で維新の公認候補として再選を果たしたが、今年1月10日に議員辞職して市長選に臨んだ。
他の市長選でも、同じ旗印を掲げて現職に挑んだ維新系候補者はいたが、大阪府外ではことごとく敗退している。2月20日の初登庁後、市長会見に臨んだ鴨田市長は、その点について「受け皿になることができた」と述べた。
「受け皿」は、自公推薦の現職だった多々見(たたみ)良三氏(72)の陣営が選挙期間中、警戒感とともに言及していたキーワードでもあった。
現職は保革一騎打ちが続き多選
多々見氏は平成23年に初当選。その後2回の市長選での対立候補は共産推薦候補のみで〝保革一騎打ち〟の構図だった。投票率をみると、前々回(27年)は42・88%、前回(31年)投票率は41・15%。市民の関心は低下していたといえる。
得票数をみると、現職だった多々見氏は前々回2万1151票、前回1万9496票と減少。しかし共産系の対立候補の得票はそこまで伸びておらず、前々回が7725票、前回が7880票と〝批判票〟を含めても微増にとどまっていた。
鴨田氏は、現市政に不満を感じていた層にとって、共産推薦候補以外の選択肢となった。多々見氏の陣営は選挙中に「保守系で、不満を感じていた層の『受け皿』になる可能性がある」と警戒。「(鴨田氏への)ふわっとした空気が広がっている」との声が聞かれていた。鴨田氏も「日々、期待を感じ、選挙戦3日目ぐらいから空気感が変わった」と選挙戦を振り返った。
保守層の「受け皿」に
今回市長選の投票率は50・70%で、前回から9・55ポイント上昇。得票数は鴨田氏が1万5686票、多々見氏は1万1580票と4千票以上の差がついた。他に2人の立候補者がいたが、建材会社社長の男性(50)は2857票、共産推薦の市民団体役員の男性(75)は2650票にとどまった。
市長選の応援に入っていた維新の堀場幸子衆院議員は「現状に満足していない市民に改革の思いが届いた。維新のマインドを持った人は、大阪以外にもたくさんいるということが証明できた。大阪以外は厳しいといわれてきたが、維新の訴えは、どのエリアでも伝わる」と強調した。
自公推薦で他にも多くの団体の支持を得ていた多々見氏の陣営が、一枚岩になりきれなかった側面もある。「推薦候補と公認候補は違う」とする公明関係者を、「参加しているが、運動はしていない」と自民関係者が批判したこともあった。とはいえ、舞鶴市長選は、保革一騎打ちが続いた多選の現職首長に対し、不満を抱く保守層の「受け皿」に維新候補がなりうることを示したといえそうだ。
宙に浮く府市連携
大阪では維新の躍進により、大阪府と大阪市の連携強化や二重行政の解消につながった面があるが、舞鶴市だけが維新系首長となった京都では、逆に「府市連携」が危ぶまれている。
多々見氏と緊密に連携し、市長選の応援にも入っていた西脇隆俊・京都府知事は2月の会見で「市政をどう運営されるかで関係性は変わる部分がある。今の段階では(連携は)白紙」と発言。「府が距離を置いている」と同市関係者が指摘する出来事もあった。
鴨田氏当選後の2月18日に行われた府道小倉西舞鶴線の「新白鳥トンネル(仮称)」の貫通式。総事業費29億円の府の事業だが、西脇知事の姿はなく、祝辞の代読もなかった。
この事業は多々見氏が強く働きかけた事業で、令和3年12月に行われた「着工を祝う会」(同市主催)には西脇知事が出席。「東西市街地の一体化で、舞鶴市の大きなポテンシャルを引き出したい」と祝辞を述べていた。今回はさらに大きな節目にもかかわらず、祝辞を述べたのは府中丹振興局長だった。
当選後、鴨田氏は「(自分は)維新の人間であることは確かで一定の浸透はあったが、舞鶴は地方で、首長は党利党略で務めるものではない。維新色は政治面では強くはない」との姿勢。市職員にも「大なたを振るうがごとくとの思いはありません」と急激な改革は否定し、維新色の払拭を図っている。
4月の統一地方選でも、各地で維新対「非維新」の構図がありそうだが、有権者はどんな判断を下すのか。「舞鶴ショック」の波紋の行方が注目されている。(永山裕司)