事件発生から約57年を経て、無罪が近づいた。袴田巌さん(87)について東京高検が20日、最高裁への特別抗告を断念し、再審公判の開始が確定した。これまで、開いては閉じてを繰り返してきた再審の扉。「これで安心。このまま進んで」。姉のひで子さん(90)は、長年願い続けた再審公判での無罪判決に、思いをはせた。
「特別抗告は断念します」
20日午後4時半ごろ、東京高検の担当検事から、袴田さんの弁護団に断念の電話連絡が入った。東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見が始まる直前だった。
電話を受けた弁護団事務局長の小川秀世弁護士は、会見場に入るや「特別抗告断念」と大きな声を上げると、支援者の間に拍手と喜びの声が広がった。
この日、オンラインで会見に参加したひで子さんは「(特別抗告の断念は)検察が腹を決めてくれたんだと思う。立派なもんだよ。本当にありがとう」と、検察側の決断に対し、敬意を表した。袴田さんには「安心しな。再審開始になったよ」と伝えたという。
長年にわたる拘置所での収容生活で発症した拘禁症の症状のため、どこまでこの日のことを理解したかは分からないが、袴田さんは長年、無罪を訴え続けてきた。ひで子さんは「弟の言う通りになっている。このまま進んでいってもらいたい」と終始、笑顔で話した。
袴田さんやひで子さんは、揺れる司法の判断に振り回されてきた。
死刑確定後、平成26年3月に静岡地裁が再審開始を決定したものの、30年6月には東京高裁が覆し、再審開始を認めなかった。最高裁は高裁に審理を差し戻し、高裁は今月13日に再審開始を決定。検察側が特別抗告すれば、最高裁で再び再審開始が閉ざされる可能性もあったが、検察側が特別抗告を断念したことにより、再審開始を巡る司法判断に終止符を打った。
20年から始まった今回の第2次再審請求で最後まで争点となったのは、事件発生の約1年2カ月後に現場付近のみそタンクから発見され、犯行着衣とされた「5点の衣類」の血痕の色だ。
血痕は赤みがかっており、黒く変色するのであれば、袴田さんの逮捕後に別人が入れた可能性が高まる。
弁護団は支援者も巻き込み、みそ漬け実験を繰り返し、みそ漬けされた衣類の血痕は黒く変色するとの結果を得た。今月13日の高裁決定では、弁護側のみそ漬け実験が「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」だと認められた。
弁護団の小川氏は「事件の証拠が難しいものではなかったことは明らか」と、衣類を袴田さんを犯人とする証拠と認定してきた過去の司法判断を批判する一方、みそ漬け実験を手伝った支援者らにも「(支援者らが)10年、20年もみそに囲まれてやってくれた」と、深々と頭を下げた。
長年にわたり袴田さんを弁護してきた西嶋勝彦弁護団長は会見で「東京高裁の再審開始決定は特別抗告が成り立たないことを説明しており、断念は当然だ」と語ると、あふれる涙をこらえきれずに机に顔を伏せた。その後、「再審請求時の証拠はそのまま再審公判に使える。一刻も早く(裁判官に)無罪判決を書かせたい」と意気込んだ。
弁護団は今後、静岡地裁で開かれる再審公判で検察側に有罪主張を放棄し、袴田さんの無罪を求める論告をするよう求めていく方針だ。(村嶋和樹、宇都木渉)
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■直ちに再審公判を
元東京高裁部総括判事の門野博弁護士の話
再審開始を決めた東京高裁の決定は、再審開始の判断を差し戻した最高裁の宿題に的確に答えたものであり、検察が特別抗告しなかったことは評価できる。直ちに再審の公判を開いてほしい。
しかし、静岡地裁が平成26年に再審開始を認めてから10年近くの歳月がたっている。その間の袴田巌さんの人生を奪い去ったことは取り返しがつかない。
今回の再審請求の経過は、検察に抗告を認めることが再審制度本来の趣旨をないがしろにしてしまうことを明確に示した。「血痕の色」のような重要な証拠判断は、早急に再審を開始して、再審公判の中でこそ審理すべきだった。
ドイツが再審事件での検察側の抗告を廃止したように、日本も直ちにその方向に法改正をすべきだ。