パラクライミングの「レジェンド」現役引退 世界選手権V4の小林幸一郎さん

パラクライミング日本選手権の決勝戦に挑む小林幸一郎さん=広島県福山市
パラクライミング日本選手権の決勝戦に挑む小林幸一郎さん=広島県福山市

パラクライミングの国内第一人者、小林幸一郎さん(55)=東京都武蔵野市=が今月、広島県福山市で開かれた日本選手権で競技生活を終えた。障害者クライミングの普及に取り組むNPO法人を設立し、一般社団法人「日本パラクライミング協会(JPCA)」の共同代表理事も務める一方、2014~19年の世界選手権・全盲クラスで4連覇した〝レジェンド〟だ。「クライミングをやめるわけではないので、寂しさや『やり切った感』はない。これからも精進していきたい」と話した。

ルートの7割を登り、ゴールまであと13手。三日月形のハリボテの上についたホールド(突起物)が取れなかった。5日、福山市のエフピコアリーナふくやまで行われたパラクライミングの日本選手権第2戦で優勝したのは、予選・決勝のいずれも唯一完登した会田祥選手(26)。小林さんは2位に終わった。

「精進が足りませんでした」

順位より、登り切れなかったことが悔しそうだった。視覚障害クラスの競技には、選手の目となるサイトガイドが付く。小林さんは競技前のルート公開「オブザベーション」でサイトガイドの並木良介さん(36)と、前日の予選より緻密に登り方のシミュレーションができていたという。

パラクライミング日本選手権の予選に挑む小林幸一郎さんとサイトガイドの並木亮介さん(左端)=広島県福山市
パラクライミング日本選手権の予選に挑む小林幸一郎さんとサイトガイドの並木亮介さん(左端)=広島県福山市

競技統括団体を設立

28歳で難病の網膜色素変性症と判明、「将来は失明する」と宣告された。だが、16歳で始めたクライミングは、視力が失われていく中でも楽しめた。これからどうやって生きていこうかと模索する中、友人の結婚式で出会ったのが、現在ともにJPCAの共同代表理事を務める鈴木直也さん(47)だった。

鈴木さんは米国のクライミングジムで働いていたとき、全盲の男性が晴眼者にクライミングを教える姿に驚いた経験があった。全盲で世界7大陸最高峰に登ったエリック・ヴァイエンマイヤーさん。偶然にも、小林さんと同い年だった。

鈴木さんの紹介でエリックさんの本を読んだ小林さんは連絡を取り、米コロラドの自宅を訪ねた。ともに岩を登ると、高難度のルートを自力で登る姿に衝撃を受け、米国ではさまざまな障害がある人もクライミングを楽しんでいると教わった。エリックさんに「日本で誰もやってないなら、それはコバの仕事じゃないのか」と背中を押され、平成17年に障害者クライミングの普及に取り組むNPO法人「モンキーマジック」を設立。翌年、ロシアで開催された初の世界大会に出場すると、見事優勝した。

ただ、競技ルールすら整っていない運営ぶりに「きちんとした大会にしたい」と考えた。22年、日本国内での大会開催にこぎ着け、30年には日本山岳・スポーツクライミング協会内に任意団体を設立。2年後、JPCAとして独立した。鈴木さんによると、独立組織で国内大会を運営しているのは日本だけだという。

挑戦する姿 映画に

「登りでは、小林を超える選手も生まれている。でも、小林に代わる人はいない」

パラクライミング日本選手権の表彰式で、鈴木直也共同代表理事から表彰状を受け取る小林幸一郎さん=広島県福山市
パラクライミング日本選手権の表彰式で、鈴木直也共同代表理事から表彰状を受け取る小林幸一郎さん=広島県福山市

小林さんが世界選手権4連覇した際のサイトガイドも務め、20年来の付き合いになる鈴木さんはこう評する。「世界で『パラクライマー・コバ』を知らないクライマーはいない。彼が刻んだ功績は計り知れない」。正式な世界選手権がイタリアで初開催された2011年以降、日本は全大会で金メダルを含む複数のメダルを獲得している強豪国だ。28年パラリンピック・ロサンゼルス大会にはクライミングの追加が検討されており、競技力のさらなる向上も期待されている。

ただ、国内競技を統括するJPCAの共同代表理事と競技者の両立は簡単ではない。小林さんは「競技の普及発展にもっと力を注ぎ、後進に譲りたい」と現役引退を決意。だが、そもそも競技大会への参加は「岩を登ること、仲間と楽しむことと同じぐらいの価値」といい、「クライミングは一生の友達」と話す。

小林さんと鈴木さんは2021年、米ユタ州の砂岩「フィッシャー・タワーズ」に挑んだ。今年5月にはそのドキュメンタリー映画が全国公開される。タイトルは、まさに小林さんの人生そのものだ。

「ライフ・イズ・クライミング!」

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