「自分が青春期を過ごした1990年代を書くにはどんな方法があるんだろう? そんなことを漠然と考えていたんです」
海外での評価も高まる作家による新しい長編小説はスピード感あふれるクライム・サスペンス。1990年代後半の東京を主な舞台に、貧困の連鎖に苦しみながら懸命に生きる少女が、避けようもなく「悪」に手を染めていく姿を描く。「お金や家、親と子の関係、そして人の記憶の仕組みについて…。書いているうちに、いつも考えていたことが集まってきたんです。綿菓子がだんだん大きくなっていくように」
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新型コロナ禍に見舞われた東京。惣菜(そうざい)店で働く主人公「わたし(=花)」はネットのニュースで見覚えのある名前を目にする。記事によれば、60歳になったその人、黄美子(きみこ)は若い女性を室内に閉じ込め暴行したとして、傷害や逮捕監禁などの罪に問われていた。忘れていた20年以上前の記憶がよみがえる。10代で実家を飛び出した花は、黄美子、そして自分と同じく社会から弾かれて居場所のない少女2人と一緒に暮らしていたのだ。<勇気づけ安心させてくれるとくべつな色>である黄色の物を一角に飾った世田谷の一軒家で。一面的に見れば、あのネット記事と同様、奇妙にも映る同居生活の実相が回想されていく。「X JAPAN」のメロディー、女子高校生ブーム…。世紀末感漂う90年代末に成立した〝疑似家族〟の日常は、彼女たちが働くスナックの火事によって暗転。花は家を守り、生きるためにカード詐欺などの犯罪を重ねる。
「花は絶望的な状況にあっても真面目さや責任感を失わない。ぜいたくをしたいわけではないのに、あのような顚末(てんまつ)になる。『お金って何だろう?』とずっと考えていた」
環境によっては良いことに生かされたはずの真面目さが、犯罪に注がれる現実はやるせない。何が罪で、善悪の境目はどこにあるのか-。そんな問いも突きつける物語は一方で、「悲劇」「転落劇」といったレッテルをはね返す明るさと疾走感に満ちている。基調をなす、夏の日差しを思わせる黄色が希望の象徴に見える瞬間がある。
「結局、みんな選びようもなく始まった人生を必死に生きているんですよね。決して犯罪を擁護するわけではないけれど、誰かが誰かの人生について、幸福だ不幸だ、なんてジャッジはできない。花がベストを尽くして走り抜くこのカーニバル感、人間のエネルギーそのものを書きたかった」
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著作の翻訳出版が相次ぎ、23日(現地時間)に受賞作発表が迫る全米批評家協会賞小説部門の最終候補に、平成23年刊の長編『すべて真夜中の恋人たち』の英語版が選ばれている。日本作品では初の同部門ノミネートに、「長く大切に読んでもらった作品がまた新しい読者に出会えるとしたら、本当にうれしい」と喜ぶ。
今作の執筆を通して創作に関する認識が「大きく変わった」と明かす。「これまで会ったいろんな人の思い出、痛み、汗がボイス(声)となって、私をつき動かしてくれる。それをパソコンの前で翻訳みたいに言葉にしていく。思うんです。人生という一回性のものを、七転八倒しながら生きてきた人たちのボイスが書かせてくれているんだ、って」
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かわかみ・みえこ 昭和51年、大阪府生まれ。平成20年に「乳と卵」で芥川賞。詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞。『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞。芸術選奨文部科学大臣新人賞を受けた『ヘヴン』の英訳版は昨年、英ブッカー国際賞の最終候補に選出された。