徳川家康 100の決断(6)

武田信玄から「一緒に今川氏を攻めないか」と持ちかけられ、家康が下した決断は?

甲府駅南口の駅前広場に建つ武田信玄の像
甲府駅南口の駅前広場に建つ武田信玄の像

泰平の世を築いた徳川家康。その生涯はピンチの連続で、「どうしよう…?」と究極の選択を何度も迫られました。家康の決断を、100の問答でご紹介します。

決断13~14を読む

甲斐国の武田信玄(晴信)が今川氏真との同盟を破棄して駿河国へ攻めこんだのを受けて、信玄と今川領の配分について密約を結んでいた家康は、遠江国へ進軍します。

<問い15>武田信玄から「一緒に今川氏真の領地を攻めないか」と持ちかけられた家康。このとき家康が下した決断は?

①氏真はかつての主家なので拒否

②絶好の機会なので承諾

③信玄は信用ならないので無視

海がほしい信玄は、嫡男・義信の妻(義元の娘)を駿府に帰しただけでなく、義信を自害に追いこんだうえで駿河国に進出してきました。これに対し、氏真は有名な「塩止め」で抵抗します。

そこで信玄は、家康と共同戦線を張ることを考え、 「大井川を境として、信玄が駿河国を、家康が遠江国をそれぞれ併合する」という密約を家康に持ちかけたといわれます。

これを遠江進出の絶好の機会ととらえた家康は密約を承諾し、信玄の駿河攻めに呼応し遠江国へ軍を進めました。

<決断15> ②絶好の機会なので承諾

※産経新聞出版「家康100の決断」より






会員限定記事会員サービス詳細