東京電力福島第1原発事故で全住民が避難を強いられた福島県葛尾(かつらお)村で、食用のエビを陸地で養殖する実証実験が行われている。事業が成功すればエビが村の特産品となり、住民の帰還促進や雇用創出につながるためだ。標高約450メートルの寒冷地。エビ養殖には不向きとされるが、「過酷な環境だからこそ、成功すればほかのどの被災地でも養殖できることが実証できる」と関係者は期待を寄せる。
村は原発から30キロ圏内。阿武隈(あぶくま)高地のほぼ中央に位置する。平成23年3月の東日本大震災当時は1567人が暮らしていたが、原発事故によって村全域に避難指示が出され、一時は村の居住人口がゼロに。28年6月に帰還困難区域以外が解除され、昨年6月には、帰還困難区域の一部も解除された。だが、東日本大震災や事故前の生活環境にはほど遠く、住民の帰還は思うように進んでいないのが現状だ。村復興推進係長の岩谷一登(かずのり)さん(48)は「まだスタートラインに立ったばかりだ」と語る。
人口1305人(今年2月1日現在)のうち村内に居住するのは約400人。かつては豊富な井戸水を活用したレンズ工場もあったが原発事故で村外へ移転。住民の帰還と生活を支える産業の創出が課題だった。
転機は令和3年3月。福島県企業立地課の職員とともに、上下水道の大手コンサルタント会社の社員が村役場を訪ねてきた。その社員の一人、松延紀至(のりゆき)さん(49)は「水産業で被災地の復興支援はできないかと候補地を探していたところ、福島県の職員に葛尾村を紹介され、早速向かうことになった」と振り返る。
国や県の補助金を活用し、葛尾村の産業団地に養殖場を建設するとの話はとんとん拍子で進んだ。昨年1月、水産加工会社など7社が出資し、村で養殖業を展開する「HANERU(はねる)葛尾」が設立されると、コンサル会社からの出向という形で松延さんが社長に。候補の中からバナメイエビを養殖することが決まった。
「車エビなら出荷までに約1年かかるが、バナメイエビなら約4カ月。柔らかな食感と甘味が特徴で、幅広い料理に使われている」(松延さん)というのが理由だった。国内で流通する約9割が外国産。多くは東南アジアで養殖され冷凍で輸入されるが、葛尾村では生食での出荷を目指す。
松延さんは「1回目の養殖は全滅だった」と明かす。寒冷地にある葛尾村では、いけすを適温に保つために灯油代は月に約40万円、電気代も月に22~23万円かかる。ロシアのウクライナ侵攻に伴う燃料費高騰も重くのしかかった。「補助金があるから続けられるが、まともな事業として成り立たない」(松延さん)という現実にも直面した。
実証実験は苦難の連続だったが、徐々に軌道に乗り始めている。昨年9月にいけすに放した稚エビは約4カ月後、出荷サイズの約15センチに成長。今年2月、村内の幼稚園、小・中学校の給食で提供された。横浜市から村に移住し出向元のコンサル会社を辞め、エビの養殖に人生をかける覚悟を決めた松延さんは「葛尾産のエビは味と安全性、鮮度で勝負したい」と意気込む。
大手飲食チェーンを退職して妻子とともに浜松市から村に移住し、エビの飼育に取り組む大藪智樹さん(46)は「エビは何も言わないので、心の声をひろいながら育てている。将来、娘に自慢できるエビにしたい」と話す。
将来的には、産業団地内に食品加工場なども整備し、エビを村の特産品として全国に出荷する計画で、令和7年4月には年間42トン(約210万尾)の生産を見込んでいる。居住人口の5%に当たる20人の雇用の確保が目標だ。社名は「駆ける」という意味の地元の方言に由来し、エビの「はねる」と掛けている。事業が軌道に乗れば、文字通り、復興に弾みがつく。松延さんはこう強調する。
「過酷な環境を乗り越え、葛尾で養殖が成功すれば、浜通りや福島県内と拠点を広げていける。エビで被災地を活性化したい」(大竹直樹)