「この本を過去40年間における改革と解放の経緯を伝えるだけでなく、取り上げた人々のもつ心の豊かさを読者に示すものにしたいのです」と、寧は中国語の書面で説明している。「わたしは小説家です。常に人間、苦境、成長、感情、心理、そして社会や歴史が、それらとどのように関連しているかという点に最も興味があるのです」
現在の中関村の生みの親とされる核物理学教授の陳春先も、本書に取り上げられている。陳は1978年に米国に渡り、カリフォルニア州のシリコンバレーのほか、マサチューセッツ工科大学(MIT)やハーバード大学が発展したボストン近郊のテック企業の集積地である国道128号線沿いを視察した。そこで着想を得た陳は、帰国すると寧が頤和園に向かう際に通った道路沿いに(現在は中関村大街と改称されている)、中国独自の大学隣接型のハイテク企業のための区域を建設したのだ。
当時は私企業の設立は厳密には法的に認められていなかったが、陳は1980年に規制を回避する方法を思い付く。学術団体である北京プラズマ物理学会に「先進開発技術サービス部」を開設し、教授陣が定時以外でコンサルティングやITサービス、のちに電子部品の製造までもできるようにしたのだ。
「いくらか“赤信号”を無視しなくては革命を進めることはできません。革命とは古いルールを破ることなのです」と、先進開発技術サービス部の責任者であるチャオ・チーチーが陳に語った言葉を寧は引用している。この部門は公的な学術研究を使って利益を得ているとして、政府に目を付けられた。何人かの教授は辞職し、陳も起訴されることを恐れたが、最終的には科学技術におけるイノベーションのモデルとして政府の支持を得たのである。
技術系の起業家が法律の枠を押し広げ、規制当局が新しい事業の手法を認めてから規則を設けるという循環は、これ以降は何度も中国で繰り返された。レノボは中国科学院の守衛室だった小屋で創業し、中関村のほかの初期のハイテク企業と同じように法的にグレーな部分で事業を運営していた。1990年代の改革で完全な民間企業の存在が合法になるまで、どの企業も民間企業のように事業を運営していたが、国有企業の傘下にあったのである。
最近でも似たようなことが起きている。電子商取引大手のアリババグループ(阿里巴巴集団)の共同創業者であるジャック・マー(馬雲)が、中国で全面的に違法とされるデジタル決済システムの「Alipay(アリペイ、支付宝)」を立ち上げたのは2004年のことだった。このとき社員には、もし誰かが刑務所に入れられるとしたらそれは自分だと、マーは念押ししていたという。マーが刑務所に入れられることはなく、Alipayは中国の電子商取引の発展に貢献し、広く利用されるモバイル決済システムの開発において米国のハイテク企業の先を越すことになった。
幻を超える
寧のキャリアは、テクノロジーがもたらす変革の力によってかたちづくられている。中国初のインターネットプロバイダーである「瀛海威」に加入したのは1995年のことだったと、寧は本書で語っている。「はっきり覚えています」と寧は説明する。「番号をダイヤルすると、Windows 95のインターフェイスに表示された通信アイコンが発する接続音の軽快なリズムが聞こえてくるのです」
寧はオンライン文学のチャットルームに参加し、作品を掲載し始めた。文芸誌が00年に掲載を見送った小説『蒙面之城』(英語版の題名は『City of Masks』)は瀛海威のあとを継いだサービス「新浪網」で連載され、1カ月で50万のアクセスを記録している。
この小説はアルフレッド・ヒッチコックとシャーロック・ホームズにとりつかれた高校生が、自分の家族の謎を解き明かそうと中国全土を駆け回るというあらすじだ。本書はやがてハードカバーの単行本として出版され、寧はその実験的かつ野心的な文章で知られるようになる。
「寧は自身のために書いています」と、ミドルベリー大学の教授で寧の小説『天・藏』(英語版の題名は『The Tibetan Sky』)を英訳したトーマス・モランは語る。「中国国内、あるいは翻訳した先の言語の想定読者に向けて書くことに興味がないようです。批評家や検閲官がどう思うかも気にしていません」
寧の文学におけるキャリアが軌道に乗り始めた00年代に入ると、中国のハイテク企業は欧米の企業と同じように事業を展開するようになる。すでに小さな守衛室からはるかに大きくなっていたレノボがIBMのPC事業を買収した05年の出来事は、この変化を象徴している。
IBMの事業のほんの一部でも買収することは、「ヘビがゾウを飲み込むような」出来事に感じられたと寧は語る。買収が成功すると、レノボの創業者である柳伝志(リュウ・チュアンジ)は国民的英雄として見られるようになった。
それからまもなく、30年にわたる解放と成長の恩恵を受けた新世代の創業者たちが登場した。