大阪に戻った円広志さんはわずかに残った印税と借金をして、梅田に人生の〝基盤〟となる「スタジオ246」を作った。2号店は今回の取材で訪れた天六店。名前に「GEN」と入れた。もちろん、ヤマハ音楽振興会の理事長だった川上源一氏の「げん」である。それからの円さんのタレントとしての活躍は、読者のみなさんもご承知のとおり。実はそのきっかけは「1通の手紙」だという。
紳助さんの手紙
大阪でレンタルスタジオを始めた円さんのもとへある日、1通の手紙が届いた。差出人はタレントの島田紳助さん。面識はなかった。
『あなたは売れてないんですから、道を真っすぐに歩くのはやめてください。下を向いて悲しそうに歩いてください』
「なんじゃこれは。けんか売っとんのかい!」と円さんは怒った。すぐさま、紳助さんが出演していたMBSラジオに乗り込んだ。
「ちょっと紳助に言いたいことがあるんや!」。スタッフの静止を振り切って、生放送中のスタジオに怒鳴り込んだ。番組はすぐにCMに切り替わった。だが、紳助さんは慌てもせず、ケロっとした表情で「ほら、やっぱり来た」と笑ったという。
「全部、紳助さんが計画してたんよ。オレが怒って怒鳴り込んでくることも、番組で2人が言い合いすることも予想してたんやろね。終わってみたらほんまに漫才の突っ込みとボケみたいになってた」
このやり取りを多くの放送局の関係者が聞いていた。「円広志、けっこうしゃべれるやん」。以後、紳助さんの出演する番組を中心に、上沼恵美子さんや、やしきたかじんさんの番組に出演。「タレント円広志」ができあがっていった。
愛すべきキャラ
平成20年6月30日から円さんは関西テレビの生活情報番組『よ~いドン!』(月~金曜、午前9時50分から)のレギュラーパーソナリティーを務め、ことし16年目を迎える。
ゆったり、ほっこり、にっこり-。人気コーナー『となりの人間国宝さん』の円さんは、まさに番組のテーマ通りの人柄で町の人たちを包んでいく。
「最近、ものの考え方やしゃべり方が、紳助さんに似てきたなと思うんよ。あの人にはたくさんの弟子がおるけど、ボクが〝一番弟子〟やないかな」
円さんはうれしそうに笑った。
ある日、円さんは故郷の高知を訪ねた。室戸岬が見える浜辺で、流木と新聞紙を使って一人「塩サバ」を焼いていた。すると、煙と匂いにつられて1匹の犬が近づいてきた。
「お前も食べるか?」と犬に話しかけていたら、犬の飼い主がやってきた。「何やってるんですか?」「塩サバ焼いてるねん。君も一緒にどや」。するとその人の友達が一人、また一人とやってきて気づくと十数人の宴会になっていた。
これが円さんの魅力だろう。最後に一言、円さんが言った。
「田所さんも曲を作りなよ。3曲できたら円広志を超えられるで」
「おかん」の声 今も耳に
平成31年4月、円さんは亡き母への思いを込めた曲を作った。『おかんの呼ぶ声』(キングレコード)である。
「貧乏でなぁ。おかんはよう泣いとった。なんでか知らんけど、一番悪ガキやったオレの手を引いて、よう室戸岬に沈む夕日を見に行った」
その時の思いをつづった歌だ。
「家に帰りたいから〝早よ沈め、早よ沈め〟と思ってるのに、夕日は止まったように動かへん」
円さんがまだ幼稚園児だったある日のこと。お母さんに連れられて八百屋を営む親戚の家へ行った。「これ食べとき」と出されたバナナを夢中で食べた。ふと気づくとお母さんの姿がない。
1年3カ月たってお母さんは帰ってきた。「義彦、ごめんな!」と抱きしめられた。
「おかんは泣いとった。オレか? 泣かんかった。なんでかなぁ。八百屋のおじさんがおいしいもんぎょうさん食べさせてくれたからかな。養子に出そうとしとったんかもしれん。貧乏やったしな。おかんには何も聞いてないけど…。おかんはかわいがってくれた」
義彦、義彦…円さんの耳にはいまもお母さんの呼ぶ声が聞こえているのだろう。
◇
「話したいことがある」。連載を読んだ元ラジオDJから思わぬ連絡が入った。そこにはギターにまつわる思わぬ秘話が。詳細は第4部「ギターを作る編」(4月掲載予定)で。(田所龍一)