海底のレクイエム

パラオのB-24リベレーター

B-24は、先の大戦中に最も多く生産されたアメリカ陸軍の4発重爆撃機。コンソリーデーデッド・エアクラフト社が開発し、1939年に初飛行。派生型を含めた生産数は1万9000機を超えており、その長大な航続力を活かして欧州と太平洋両戦域で広く使用され、海軍型の対潜哨戒機PB4Y-1も採用された。愛称のリベレーターは「解放者」を意味する

昭和18年以降の先の大戦では、「コンソリ」と呼ばれたB-24が米軍の重爆撃機の主役となった。日本陸海軍の戦闘機にとって撃墜することが難しい相手で、その対策が様々に検討された(戸村裕行撮影、2018年9月)
昭和18年以降の先の大戦では、「コンソリ」と呼ばれたB-24が米軍の重爆撃機の主役となった。日本陸海軍の戦闘機にとって撃墜することが難しい相手で、その対策が様々に検討された(戸村裕行撮影、2018年9月)

パラオのコロール島周辺の浅瀬に横たわる大きなつばさは、コンソリデーテッドB-24リベレーターの右主翼である。

水深が1メートルにも満たない浅い場所にあるため、潮の干満によって近くまで寄れるか寄れないかが左右される。

主翼はかなり破損し、裏返った状態であるが、現地の話しでは、すぐ近くの山の上に同機の残骸が残っているということ。墜落時にこの主翼だけがここに落ちてきたのであろう。

取材協力:デイドリームパラオ(ホームページはこちら

空冷14気筒のプラット・アンド・ホイットニーR-1830ツイン・ワスプとハミルトン・スタンダード製油圧定速の3翅プロペラ(戸村裕行撮影)
空冷14気筒のプラット・アンド・ホイットニーR-1830ツイン・ワスプとハミルトン・スタンダード製油圧定速の3翅プロペラ(戸村裕行撮影)
外側のエンジンナセル部分。エンジンとエンジンナセルは失われているが、その内部にある前方エンジン部分を支えるフレームは残っているのが見える(戸村裕行撮影)
外側のエンジンナセル部分。エンジンとエンジンナセルは失われているが、その内部にある前方エンジン部分を支えるフレームは残っているのが見える(戸村裕行撮影)
エンジン後方にあるオイルタンク。B-24は防弾のための装備が十分に施された高い抗堪性を持つ爆撃機だった(戸村裕行撮影)
エンジン後方にあるオイルタンク。B-24は防弾のための装備が十分に施された高い抗堪性を持つ爆撃機だった(戸村裕行撮影)
主脚とホイール部分。双発以上の航空機は、ほとんどが主脚をエンジンナセルに収容したが、B-24 は主翼に引き込むという独特の設計をとっている(戸村裕行撮影)
主脚とホイール部分。双発以上の航空機は、ほとんどが主脚をエンジンナセルに収容したが、B-24 は主翼に引き込むという独特の設計をとっている(戸村裕行撮影)

水中写真家・戸村裕行 1982年、埼玉県生まれ。海底に眠る過去の大戦に起因する艦船や航空機などの撮影をライフワークとし、ミリタリー総合誌月刊『丸』にて連載を担当。それらを題材にした写真展「群青の追憶」を靖國神社遊就館を筆頭に日本各地で開催。主な著書に『蒼海の碑銘』。講演、執筆多数。


雑誌「丸」
昭和23年創刊、平成30年に70周年迎えた日本の代表的軍事雑誌。旧陸海軍の軍 艦、軍用機から各国の最新軍事情報、自衛隊、各種兵器のメカニズムなど幅広 い話題を扱う。発行元の潮書房光人新社は29年から産経新聞グループとなった 。毎月25日発売。

会員限定記事会員サービス詳細