誰もが100歳まで生きられることが現実となりつつある「人生100歳時代」。長期的に平均寿命が延び続けるのと並行して、高齢期の生き方のスタンダードが現在進行形でつくられている。手探りのなか、社会にとって大切なことや備えとして必要なものは何か。〝折り返し点〟を過ぎ新たな勉強に取り組むなど100歳時代にふさわしい人生を歩む俳優の真矢ミキさんと、産経新聞社「100歳時代プロジェクト」のパートナー企業である太陽生命保険の副島直樹社長が語り合った。
真矢「核家族化の進行不安」 副島「ローカルの視点重要」
――人生100歳時代でシニアの学びへの関心も高まるなか、真矢さんも54歳で高卒認定試験(旧大学入学資格検定=大検)に合格されるなど意欲的ですね
真矢 中学から高校へという時期に宝塚音楽学校に入って芸事の道をがんばったため、自分のなかで勉強が宙ぶらりんになってしまい気持ちが悪かったのです。私は探求心があって、黒板に向かって学びたい方だったのですが…。例えて言えば、テストが返却されず、点数が分からないままずっと生きてきたような感じで、そこをクリアしなければならないという思いがありました。
副島 すばらしいチャレンジですね。勉強の際、年齢を重ねさまざまな経験をし、見聞きしたことの蓄積もあったことで、学んだことがより分かるといった感じがあったのではないですか。
真矢 そうですね。そのころ、朝の情報番組の司会を4年半任せていただいたのですが、視聴者も知識が豊富なので、せめて失礼のないように、という動機もありました。日本史の勉強をしていたときに、情報番組で扱っていた政治のニュースと勉強したことがつながる経験をし、〝勉強っておもしろい〟と思いました。明治政府ができたとき、幕末の薩長同盟を基盤に薩摩(鹿児島)と長州(山口)の出身者が首相に就き、それが現在まで連綿とつながっていて…。
副島 私も〝なぜこうなっているのか〟といったことが人生経験を積むことによって相乗的に分かるようになり、年を取ることが楽しくなってくる感覚があります。こういうことは30代くらいのころの自分には分からなかったです。10代~40代くらいまでおもしろいこともたくさんありましたが…やはり今が結構楽しいですね。
真矢 すごくよく分かります。5年前に88歳で亡くなった母が、若いころよりも高齢期になってから楽しかったと言っていて「自分の中でいろいろ分かってきたのと、〝知りたい〟という気持ちがうまくかみ合ったから」と。
副島 年齢を重ねるよさもありますよね。
真矢 私の夫(8歳年下のバレエダンサー、西島数博さん。10代でフランスにバレエ留学)が同じようなことを言っていました。「フランスでは40歳を過ぎたころからすてきな女性だと認められるようになる」と。その年代までは、すてきな女性になるために自分を磨く作業をするのだということです。
――寿命が延びることはすばらしいことである一方、健康の問題もあります。長寿化をどのようにお考えですか
真矢 私ももうすぐ還暦ですが、心強いのは寿命が延びるなか、70代、80代、そして90代といった世の中の先輩方が、高齢期の生き方を開拓してくださっている背中を見て過ごしていけることです。いろいろなことをやってくださって種はまかれていると思うので、私はそのお手本のなかから自分に合うものを選ばせていただければと思っています。
副島 約40年前、私が新入社員だったときは日本で100歳以上は1千人ちょっとでしたが、昨年は9万人超で、当時の100倍に迫ろうとしています。真矢さんがおっしゃった、そういう諸先輩方が高齢社会の最初のスタンダードを今まさにつくってくださっている。そういうことで世の中も大きく変わっていくと思います。
真矢 健康の面でいえば、どこまで現役で楽しめるかは重要で、100歳までたどり着いたとしても健康でなければなかなか至福は得られません。そうでないと〝太く短く〟生きて「幸せでした」と言っている人の方がよくなってしまう。私の母は高齢になって認知症の症状が出たのですが、そのときの経験も踏まえ「核家族化」ということに対して不安になるときがあります。高齢者にとって「生きた会話」のできるコミュニティーが健康のために何より大切だと痛感しています。
副島 人と人とのつながりですね。そういう点では、世界や日本のこれまでの流れはグローバル(地球規模・世界規模)でしたが、ローカル(地域的)の視点が重要だと思います。直近の数十年の流れはグローバルだったのだけれども、ここ5年くらいはローカルに振れてきています。高速に進行する高齢化のなか、解決策としてお金や保険などがあり、私たちも一生懸命取り組んでいますが、それだけでは解決できない部分がある。コミュニケーションがやはり重要で、そこには「ローカル」の視点が必要になってくる。住んでいる地域で〝向こう三軒両隣〟で仲良くしていたという社会が昔はありましたが、そういうローカルによる人と人とのつながりということを心がけていかないと、超高齢社会を乗り切るのはなかなか難しいと思います。
真矢 すばらしい。そういう方向が見えてきています。
真矢「生きた会話の大切さ」 副島「社会保障制度を補完」
――生きた会話やコミュニケーションが何より重要ということですね。
副島 その点で、真矢さんのご結婚後、真矢さんのお母さまに対して旦那さんが「ママ、きょうは僕とデートしましょう」と単独で誘って2人で出かけたというエピソードを知り、人間的にすばらしい方だと思いました。旦那さんはそのころおいくつだったのですか。
真矢 40代の前半です。「ミキさんはきょうは忙しそうだし…」といって誘い出してくれたのですが、晩年の母にとっては想像していなかったことのはずで、本当にありがたい気持ちになりました。
副島 自分を顧みても、40代前半で、配偶者のお母さまにそういう気遣いができる人ってあまりいないのではないかと思います。旦那さんの性格が何よりすばらしいのですが、それはやはり留学されていたヨーロッパの雰囲気でしょうか。
真矢 フランスでは40歳を過ぎたころからすてきな女性だと認められるという話をしましたが、彼が母に「デートしましょう」と言ったのも、〝すてきな人生を聞かせてください〟という真っすぐな気持ちから出たのだと思うのです。こんな〝生きた小説〟を聞かせてもらえる時間は彼にとっては宝だと。母を喜ばせたいというのもあったでしょうけれども、いろいろな人の人生を聞いてみたいという気持ちもあったのだと思います。
副島 わが国のいいところももちろんありますが、ヨーロッパのそういう部分の厚みを感じますね。
――高齢化への解決策として、生命保険会社として取り組んでいるとのことですが、具体的には?
副島 100歳時代で何が大事かといったら、「健康寿命」です。令和3年の平均寿命が女性が87・57歳、男性が81・47歳で、長期的に延び続けていますが、自立した生活が送れる健康寿命は男女平均で10年くらい短い。それ(平均寿命と健康寿命の差)をどのように短くし、仮に短くてもその期間があるという場合はどういう備えをしていかなければならないかを考え、手助けしていくのがわれわれ生命保険会社の役割だと思っています。
真矢 私も少しずつ自分の高齢期を考えるようになってきていて、母の介護の経験から、認知症になるといろいろ断たれてしまうので〝認知症になりたくない〟と率直に思います。
副島 生命保険の概念としては新しい「予防」として、認知症の予兆を把握できるサービスを保険商品と併せてご紹介しています。認知症になり施設への入所が必要になった場合の費用など、公的な社会保障制度ではカバーされない出費があり、社会保障を補完するという生命保険会社の役割として、認知症保険を提供しました。さらに予防ということで、認知症の前駆症状になり得る軽度認知障害(MCI)をスクリーニング検査するサービスをご案内しています。微量の採血により認知症にかかわるタンパク質を調べるものです。
真矢 心強いですね。
副島 その検査をお客さまにご案内している関係から、私どもの営業職員にもその検査を定期的に行っています。定年が70歳で、その後も1年更新で働ける雇用制度になっているので、高齢の職員が結構多いからです。その検査の結果、統計学的に有意に、70~80代の職員の認知症発症リスクが一般の平均値よりも低いことが判明しました。なぜ低いかというと、わが社の職員は毎日、支社に出社して朝礼を行って保険の勉強も少しずつする。お客さまのところに行くのに歩くことも多く運動になる。そして真矢さんが強調されましたが、お客さまと話をする。頭を使う、運動、会話、これらを日常的にやっていることが脳の活性化に寄与している可能性が高い。この太陽生命少子高齢社会研究所の共同研究は公表されているので、成果が社会のお役に立てればありがたいです。
真矢 生きた会話、温かな会話は大事ですね。高齢になって、毎日「これ食べる? 食べない?」「(この食べ物は)いる? いらない?」「(座ってばかりだけど)立つ? 立たない?」などといった会話ばかりでは飽きてしまう。趣味の話とか、こういう話が心弾むとか、年齢を重ねるほど過去の喜びもたくさん詰まっているから、もっと開けてほしい引き出しもいっぱいあると思います。自分の回りで生きた会話のできる相手が具合悪くなったり亡くなったりということで会話が減ってくる分、自分なりに補っていかないといけない大変さがありますが…。
副島 研究でも明らかになりましたが、コミュニティーを作って生きた会話をし、頭を使い、運動などが自然にできる環境をつくることがわが国にとって非常に大事なのではないでしょうか。
真矢 その通りです。私は母を見ていて、父に先立たれたことによる打撃も大きかったと思っています。父のことを尊敬していて好きだったので、現実逃避して悲しみにふたをした。それが認知症の〝入り口〟だったのかなと感じています。父は昔の〝企業戦士〟で出張が多かったので「私はパパが出張していると思っているから(心の中に)立ち入らないで」と。出張していてここにいないだけだと思い込むことで、自分自身が傷つかないようフィルターをかける作業が認知症の症状に影響したのかもしれません。そんなことがあり、私も親がいなくてさびしいので、街なかで1人で歩いている高齢の方を見ると、ふつうに〝一緒にお食事してお話ししたいな〟って思うことがあります。
副島 真矢さんにもしそんなことを言われたら、断る人なんていないでしょうね(笑)。
真矢「観客動員にこだわる」 副島「価値観多様化に対応」
――諸先輩方が高齢社会の最初のスタンダードをつくっているとのお話がありましたが、手探りのなかで価値観も多様化してくるのですね
真矢 母は最初、デイサービスにお世話になり、その後、施設に入所しましたが、施設に入っている方も多様化しています。全員が浴衣を着て盆踊りをやりたいわけではなくて、母も「嫌だな。私はいいわ」と言っていました。母は新聞が好きだったので、ボランティアの方から「きょうの新聞のこの部分について考えましょうよ」といったことをしていただいて、それを楽しんでいました。
副島 生命保険会社も多様化に対応しています。従来、保険は65歳未満の働き盛りの人たち、一家の大黒柱の方が亡くなってしまったとき、残されたご家族の経済的損失を補完する、そういう役割を持っていました。けれども寿命が延びて65歳以上の人が増えてくる。高齢者の多くは会社勤めなどはしていないですから、求められる保障というものも劇的に変わってきています。さらに保険というのは健康でないと入れないというのがありまして。
真矢 そういうイメージですね。
副島 そうなのだけれども、65歳以上の人は元気であっても多くの人は何らかの持病はある。そういう人でも入れるような保険をつくる、このようなことも大切にしています。ただ、超高齢化というのは現在進行形で、すべてが見えているわけではない。それぞれの人にとって何が本当に必要なのか、まだ分からない部分もあります。そういう点では、真矢さんが〝革命児〟として宝塚で新たな男性像をつくろうとしたときと同じだと思います。
真矢 お話をうかがってはっとしました。宝塚で私がトップになる直前に阪神大震災が起きたため、お披露目の公演では2階席が空席だらけで、シートの色で真っ赤でした。一緒に出ている若い子たちが「2階を見ない方がいいよ、悲しくなるから」とささやき合っているのが聞こえてきて、〝トップになって見えた風景がこれだったのか〟とつらくなりました。それがきっかけで観客動員にこだわろうと思ったのです。そこで私は、宝塚の伝統的な男性像とはひと味違う、髪形も服装も今の日本人の男性のカッコよさを取り入れた自然な男性像を目指しました。お客さんの多くは日本人の女性ですから。そうしてみたら、ギャルとか来てくれるんですよ、なけなしのお金を持って。
副島 ビジネスのセンスがありますよ(笑)。われわれがやろうとしていることも発想は同じです。生命保険会社だけで物事ができるわけではありませんが、私も従業員も、国民のために過ごしやすい社会をつくる、そのために社会保障のうち国が行う以外の部分を補完する役割を担う。そういう気持ちで仕事をしていく必要があると思っています。
真矢 志がありますね。こういったお話をうかがったことは人生でも今後の役作りのうえでもとても参考になりました。
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まや・みき
昭和39年1月31日生まれ。15歳で宝塚音楽学校に入学し、56年、宝塚歌劇団に入団。平成7年、「エデンの東」で花組トップスターに就任、男役として絶大な人気を誇る。10年に退団後は俳優として活躍。
そえじま・なおき
昭和33年11月20日生まれ。慶応大商学部卒。56年、太陽生命保険入社。ロンドン駐在員事務所長、執行役員営業企画部長、副社長などを経て、平成31年4月から現職。