神奈川 3・11の記憶㊤

被災地や地域 つながり深め 支援と防災、伝える

岩手県大船渡市の住民と相模女子大の学生は震災直後から交流を続けてきた=今年2月(同大提供)
岩手県大船渡市の住民と相模女子大の学生は震災直後から交流を続けてきた=今年2月(同大提供)

「ああ、相模女子さんか。よく来たね」。2月下旬、岩手県大船渡市で相模女子大の有志グループ「復興支援学生ボランティア委員会」のメンバー13人は住民たちから温かい歓迎を受け、ホタテの加工、郷土料理について習いながら交流を深めていた。

東日本大震災直後の平成23年6月、当時の同大学生が同市で炊き出しを行ったことがきっかけで関わりが生まれ、継続的な支援を行うために委員会が24年8月に誕生した。仮設住宅の住民や保育園の園児との交流、水産加工会社との商品開発などを手掛けてきた。

年月の経過とともに被災地の現状を知る機会が減る中、メンバーは活動を通じた情報発信に取り組んできた。相模原市の中学校での講演、同大学園祭での大船渡のサンマの販売などを重ね、新型コロナウイルス禍で対面交流が難しかった昨年は復興した街並みや名物などの映像を交流サイト(SNS)で発信する活動に力を入れた。

これまで同委員会に参加した学生は約500人に上る。長期間の支援の基礎となっているのは先輩後輩という学生同士のつながりだ。2年の浜田満里奈さん(20)は「ボランティアをしたくて相談した先輩が(委員会を)教えてくれたことがきっかけで参加した」。同大は平成30年3月に学生の課外活動をサポートする「夢をかなえるセンター」を設立し、新入生へのPRなどで支援する。

メンバーたちの経験、記憶は震災を伝え継ぐ力になる。委員長を務める3年の渡辺歩実さん(21)は「『また来てね』といわれる人の温かさを伝えたい。先輩たちから受け継いだ活動を後輩にもつなげていきたい」と話す。

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「地震のとき、助けてくれるのは地域の人です。みんな、近所の人にあいさつしているかな」。3月6日に横浜市港北区の市立北綱島小学校の放課後キッズクラブで開かれた防災教室で、グリーンの防災服姿で「防災レンジャー」になった鷲山龍太郎さん(66)は児童らに優しい口調で語りかけていた。

児童たちに地震発生時の身の守り方を教える鷲山龍太郎さん(左奥)=6日、横浜市港北区(橋本愛撮影)
児童たちに地震発生時の身の守り方を教える鷲山龍太郎さん(左奥)=6日、横浜市港北区(橋本愛撮影)

12年前は同小校長だった。災害時の詳細な行動計画を作らないまま「3・11」を迎えた苦い経験が原点となり、防災士の資格を取って啓発活動などに邁進(まいしん)するようになった。

発生時は同市中区で開催の小学校長会に出席中だった。県内で最大震度5強の揺れが起き「校長たちもどういう行動をとるべきか発想がなかった」。公共交通がまひする中でひたすら歩き、小学校に戻ったのは午後9時ごろだった。

阪神大震災をきっかけに防災教材は作成されていたが、「それだけでは命は救えないと感じた」。津波で児童や教職員84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小で校長が不在だったと知り、自らの状況と重ね合わせた。普段から学校、保護者、地域が一体となって防災に取り組む必要性に気づかされた。

災害発生後、どの段階で誰が、どう行動すべきかという行動計画を作り、地域一体型の防災訓練も実施した。この取り組みは評判となり、退職後も港北区や自治会からの依頼で防災教室を行っている。

児童に対してはわかりやすいようにクイズや寸劇を取り入れ、震災時の状況に応じた身の守り方を説明するが、「揺れの怖さを知らない子供も多い」と感じるようになってきた。

「釜石の奇跡」とも称された岩手県釜石市の避難の様子、被災した大川小の校舎などの写真も見せながら震災の現実を伝え、防災と向き合ってもらう。

「大人も子供も『このときどうすべきか』を考えて訓練しないといけない。自分の頭で考えたことは忘れませんから」

東日本大震災から11日で12年を迎える。被災の記憶が薄れないように伝え、防災につなげていくことが、いつの日か起こりうる大災害への備えとなる。人命被害を防ぐための県内関係者の取り組みを伝える。

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