「今日で8年がたちました。最後の手を握った感触は今でも残っている。あの時言われへんことを必ず結果で体現する。絶対に勝つから見といてほしいです。いつもありがとう」
次男の立が主人、仁の祥月命日の1月20日、インスタグラムにこう投稿し、長男の一郎も「8years」のタイトルで晴天の空をアップしました。
2015年のこの日、私は一郎と立が寝た後、主人が闘病中の病院へ向かっていました。実家がある大阪の病院に転院してからはずっと、夜は主人に付き添い、早朝に息子たちのお弁当を作りに自宅へ戻る生活が続いていました。
深夜の車中で携帯電話が鳴りました。病院からでした。「ご主人の容体が急変しました」。私はそのまま車を走らせ、息子たちは義理の兄にお願いして後から連れてきてもらいました。
主人の意識はもうありませんでしたが、息子たちに「聞こえてるかもしれないから、お父さんに言いたいことは全部、聞かせてあげて」と言いました。そして主人の手を握るように促しました。
私自身、20代のときに父を亡くし、身近にいた祖父や祖母が亡くなる悲しい経験もしてきました。祖父が亡くなったとき、冷たくなった手に触れて、「大好きだったおじいちゃんがこんなに冷たくなってしまうんだ」と子供ながらにショックを受けた記憶がありました。だから、主人のぬくもりがある手を握ってほしかったのです。
高校1年だった一郎は「お父さんが言ってくれたこと、全部覚えてるよ。おれ、頑張るから。お父さん、ありがとう」と泣きながら話しかけていました。
中学1年だった立は深夜に突然、起こされて病院に連れてこられたこともあって状況をうまくのみ込めていないようでした。私たちが話しかけたとき、横を向いて眠る主人の目から涙がこぼれました。あの涙の理由は、主人にしかわかりません。しかし、立が投稿したように、8年がたっても、握った主人の手の感触、ぬくもりを忘れていませんでした。
この8年は、正直に言えば、きつかったです。大変でした。主人から何かを託されたり、具体的に言い残されたりしていたほうが気が楽だったかもしれません。しかし、必死に闘病していた主人に、亡くなった後のことをあれこれ聞くことはできませんでした。最後の最後に、家計のことと息子たちの進路についてだけ聞きました。
「柔道は(国士舘高で指導する)岩渕(公一)先生に任せたらいいの?」。そう問いかけた私に、主人は「それでいい」とうなずきました。立が通っていた大阪の中学は高校まで一貫教育の学校で、とてもお世話になったので、東京の国士舘高へ進学する際には申し訳ない気持ちにもなりました。それでも、主人が通った国士舘高へ進学させることが立のためにもなるのではないかと、悩んだ末に結論を出しました。
あの時言われへんことを必ず体現する-。立が言えなかったことは投稿でその後に続く「絶対に勝つから見といてほしい」という決意の言葉です。まだ「斉藤仁の息子」でしかなかった当時とは違い、立は昨年、全日本王者になり、世界選手権も2位とあと一歩で優勝というところまできました。「絶対に勝つ」と誓った舞台は今年の世界選手権か、来年のパリ五輪か-。今なら主人にも「絶対に勝つ」と言える自信がついたのだと思いました。
1月20日は毎年、たくさんの方々がメッセージをくれます。柔道関係者や主人がよく通った居酒屋のマスター…。主人の故郷の青森では、中学の同級生や教え子、後輩の方々が毎年、しのぶ会を開催してくれています。
ふとしたとき、主人が生きていたらどんな8年になっていただろうかと考えることがあります。楽しいシニアライフを過ごしていたかもしれません。息子2人が国士舘高・大学へ通うタイミングで私も上京していたかもしれません。でも、もしかしたら、主人の厳しい指導に立が音を上げて、今頃は柔道をやめていたかもしれません。
柔道家が立つ畳の上と同じで、「たら、れば」はありません。家族3人が力を合わせて生きてきた軌跡が全てです。これからも、いつか天国で「さみしい思いもしたけれど、楽しいことも良かったこともたくさんあったよ」と報告できるような人生になればいいなと思っています。
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五輪2連覇の斉藤仁の妻として、パリ五輪を目指す次男・立の母として、斉藤三恵子さんが柔道一家をめぐる話をつづります。
斉藤三恵子
さいとう・みえこ 1964年、大阪府生まれ、大学卒業後、海外の航空会社に就職。フランスの航空会社で客室乗務員をしていた1993年に斉藤仁氏と出会い、97年に結婚。長男・一郎氏、次男・立の母。
斉藤立
さいとう・たつる 体重無差別で争う全日本選手権は2019年に史上最年少の17歳1カ月で初出場し、22年に初優勝。男子100キロ超級で18、19年全国高校総体、18年全日本ジュニア体重別選手権優勝。21年のグランドスラム・バクー大会でシニアの国際大会初制覇。男子95キロ超級で五輪2連覇の故斉藤仁氏と三恵子さんの次男。一郎さんは兄。得意技は体落とし、払い腰。東京・国士舘高―国士舘大3年。191センチ、160キロ。20歳。大阪府出身。