一聞百見

旅先で笑わせて年間売り上げ8億円 日本旅行「カリスマ添乗員」平田進也さん

カリスマ添乗員として知られる日本旅行の平田進也さん=大阪市北区(須谷友郁撮影)
カリスマ添乗員として知られる日本旅行の平田進也さん=大阪市北区(須谷友郁撮影)

JR西日本傘下の旅行会社、日本旅行に勤め、「ナニワのカリスマ添乗員」の異名を持つ平田進也さん(65)。独創的なツアー企画や顧客目線の徹底したサービスで旅行者の人気を呼び、売り出すツアーは即時完売。年間8億円もの売り上げを記録したこともある。日本の旅行業界は今、新型コロナウイルス禍で厳しい打撃を受ける。しかしいったん立ち止まることを余儀なくされた今だからこそ「日本における旅行の価値を見つめなおし、新たな魅力を国内外に発信すべきだ」と訴える。

とっさのものまねで開眼

奈良県吉野郡で生まれ育った内気な少年だった。学校の授業では、先生に促されても顔を真っ赤にして発言できない。授業参観に来た父親は落胆し、母親は心配して先生に相談した。父からは「人に対し、何か〝一番〟になるものを持て」と言われたが、簡単ではなかった。

転機となったのは中学1年生のときの出来事。学級委員になったが皆の前で議事進行ができない。そんな状態が3カ月も続いた。先生から「もう、やめるか」と言われた際、とっさに担任の男性教諭のものまねをして、クラスの爆笑を誘った。

「自分は人を笑わせられると初めて気が付いた」。以来、テレビで見たお笑い番組や舞台のセリフを片っ端から「芸能ノート」に書きとめ、話術が巧みになった。「やめるか」と言われた学級委員は結局3年間務めた。高校でも毎年、生徒総会で登壇して会場を笑わせた。

「皆を笑わせる」才能は大学でさらに開花した。当時、〝お笑いの甲子園〟といわれた恋愛バラエティー番組「ラブアタック!」の出演募集に、知らない間に妹が応募して、オーディション参加が決まった。

高校時代に奈良県内でラジオ番組に出演した平田進也さん=昭和49年ごろ(提供写真)
高校時代に奈良県内でラジオ番組に出演した平田進也さん=昭和49年ごろ(提供写真)

番組ディレクターに「どんな特技がありますか」と聞かれて、「僕は吉野川の若アユです。僕の泳ぎを見てください」と言ってテーブルの上で全力で泳いだ。「そんなことをしてくれとは言っていない」と叱責されたが、結局「君おもしろいね。来週、スタジオに来てください」と言われ、出演が決定。以来、27回出演した。学内では「恥さらし」との批判もあったが、見知らぬ人が「応援しているよ」と声をかけてくれるなか、テレビの魅力にひかれていった。

喜ばれたいなら旅行業だ

就職をめぐり、懇意にしてくれたテレビ局のディレクターに相談した。テレビ局への就職を希望したが「テレビの世界は厳しい。君は初対面の人でも喜ばせられる。サービス業がいいだろう」と諭された。レストランやホテル、旅行業を勧められたが、「旅館に行けば舞台もある。緞帳(どんちょう)もある。カラオケでお客さんの大爆笑を誘える」と言われ、旅行業界への就職を決意。「日本の旅行なら、日本旅行だ」と思い、日本旅行に目標を定めた。

〝人を喜ばせたいから旅行業に行く〟との思いから、面接官に対しても「いかに笑ってもらえるかを考えた」。4回面接があったが、最終的に内定を勝ち取った。面接官は後に「ほかの受験生たちは言うことが一緒だったが君は違った。君が面接に来ることがいつも楽しみだった。お客さまを、そうやって喜ばせてほしい」と励ましてくれた。

昭和55年に日本旅行に入社。お客さまも、僕の話を喜んでくれるに違いない―。そう思って社会人生活を始めた。しかし「そこには、多くの〝洗礼〟が待っていました」。

ミスに苦情…苦しい新人時代

昭和55年に日本旅行に入社し、配属されたのは伊丹支店(兵庫県)。飛行機の席の確保や発券などを行う業務についたがミスを連発。その後、営業職に就いた。指示されたのは飛び込み営業。「ビルのオフィスをかたっぱしから訪れ、慰安旅行や新婚旅行を売り込んだ。話を聞いてもらえるまで毎日行く。それでも売れなかった」

同時に添乗員の職務もこなした。ツアーでの1日の仕事が終わった後も二次会、三次会とお客の宴会に付き合う。それで次の旅行の受注をお願いする。バスが交通渋滞や事故に巻き込まれれば不満のはけ口として文句もぶつけられた。「厳しい洗礼でした」と当時を振り返る。

ツアー客のために女装する平田進也さん=大阪市内(提供写真)
ツアー客のために女装する平田進也さん=大阪市内(提供写真)

9年間の伊丹支店勤務を終えて、海外旅行を担当する部署に異動。そこで再び転機が訪れる。大学時代にバラエティー番組へ出演していた経緯から、社会人になってからもテレビ出演を続けていたのだが、朝の人気情報番組の協力を受けて、海外のロケ地をめぐるツアーを企画することになったのだ。

お客に寄り添い抜きヒット

韓国や台湾、シンガポールと企画した海外ツアーはことごとくヒットした。ツアー販売は急拡大し、年間8億円を売り上げる添乗員となった。ツアー客が喜ぶなら「韓流スターのまねでも女装でもなんでもやった」。徹底したサービスと学生時代から磨かれた話術が加わり、2万人規模の〝ファンクラブ〟ができたほどだ。

平成13年、国内旅行を販売する部署に異動し、国内ツアーを手がけた。「人を喜ばせたいとの思いが僕の原点。やりすぎといわれることもあったが、お客さまに尽くしきるしかない」との結論に達し、客の立場を考え抜いて企画を練った。

夫が夜、繁華街で飲み歩くことに不満を募らす女性のうっぷんを晴らすため、男性用の高級クラブを夕方早い時間に貸し切り、格安で楽しむ「あだ討ちツアー」。犬を飼っているため旅行に行きにくい愛犬家らが、犬と一緒に参加する「カニを食べる鳥取ツアー」など、ヒット商品を次々と生んだ。

思い入れの強いツアーがある。介護をする人、される人がともに楽しめる「快GOツアー」だ。

社内には独自のブランド「ヒラタ屋」が立ち上げられた=大阪市北区(須谷友郁撮影)
社内には独自のブランド「ヒラタ屋」が立ち上げられた=大阪市北区(須谷友郁撮影)

夫が半身不随になり、旅行できなくなった夫妻をツアーに招いたことがきっかけだ。しかし妻は旅行中も夫の介護をせざるを得ない。「介護する側も苦労を忘れて楽しみ、される側も楽しめなくてはならない」と考え、介護福祉士と協力して双方が心行くまで楽しめるツアーを考案した。体の不自由なある参加者は、旅行をきっかけに、懸命のリハビリを始めてくれたという。

「人を喜ばせることは無限にできる。ツアー参加者を恋人、家族と思えば、無限に知恵が湧く」と言い切る。21年には社内で独自の旅行ブランド「ヒラタ屋」が立ち上げられ、旅行業界でその名を知らぬ人はいない存在となっていった。

コロナ禍で見いだした新たな価値

一方、令和2年初頭から本格化した新型コロナウイルス禍で旅行業を取り巻く状況は一変した。

新型コロナの影響を初めて知ったのは2年3月、北欧フィンランドでオーロラを見るツアーへ出かけたときだった。首都ヘルシンキに向かう航空機内で、誰もがマスクをしていて驚いた。日本に帰国すると、さらに厳しい現実が待ち受けていた。

カリスマ添乗員として知られる日本旅行の平田進也さん=大阪市北区(須谷友郁撮影)
カリスマ添乗員として知られる日本旅行の平田進也さん=大阪市北区(須谷友郁撮影)

「ツアーを作っても参加者が集まらない。集まっても、会社からは『やめてほしい』と言われる。行きたいという客もいたが、責任が取れない」。やむなく全ツアーをストップした。当時は会社の経営も危機的状況に陥り、ワクチン接種会場の運営などを受託して、なんとか持ちこたえた。

ただ、足を止めてはならないと思った。考えたのはオンラインの疑似ツアー。客とオンラインでつないだ停まったバスに平田さんだけが乗車。座席に利用客の似顔絵を貼り、「今日は静かなお客さんですね」と軽妙に話しかける。会議室を淡路島の料亭になぞらえたり、絵に描いた玉ねぎの〝つかみ取り〟で興奮してみせたりと、オンラインで視聴している利用客に旅行気分を味わわせた。「今は我慢の時だけど、明けない夜はないとメッセージを送りたかった」

旅行×地域振興に情熱

自治体に請われて、西日本各地の「観光大使」としての活動も始めた。背景には添乗員として全国の観光地を回り、感じた観光行政の問題点があった。それは自治体間の連携や成功体験のシェア(共有)が行われていなかったことだ。

「行政の取り組みはどうしても縦割りになる。そして自治体は隣の自治体が観光産業で成功しても、その経験を取り込んだり、良いものを共有したりすることができない」と指摘する。「だから、外部の人間が入って、気が付いたことを言うと、納得してもらえる」

外部からの指摘が大切と思うもう一つの理由が、自治体が自身の持つ魅力に気づけることだ。

香川県内の複数自治体の観光アンバサダーに就任した平田進也さん(右から2人目)=香川県さぬき市、令和4年8月(提供)
香川県内の複数自治体の観光アンバサダーに就任した平田進也さん(右から2人目)=香川県さぬき市、令和4年8月(提供)

現在、香川県内の複数の自治体で「観光大使」を務めるが、新鮮な魚介類が都会で考えられないほど廉価で売られていたり、「和三盆(わさんぼん)」と呼ばれる砂糖の原材料となるサトウキビ畑が広がったりしている事実が「域外ではほとんど知られていない」。このような〝見過ごされた〟魅力を発見し国内外にアピールする手伝いができるのが、外部からのアドバイザーだと訴える。「選りすぐりの商品やサービスを適切な対価で売るサイクルが生まれてこそ、お客も観光地も旅行会社も潤う」が信念だ。

新型コロナは5月8日に感染症法上の位置づけで「5類」に移行し、インバウンド流入の本格化が見込まれる。「日本の自然美や原風景に触れる旅行が必ず受け入れられる。そこに地域振興を組み合わせていくべき」と意欲を燃やす。昨年65歳になった。「会社が許す限りはここにとどまり、後輩の育成にも携わりたい」。「カリスマ添乗員」は、今なお観光産業の未来を見つめ続けている。(聞き手 黒川信雄)

ひらた・しんや 日本旅行添乗員。昭和32年5月、奈良県生まれ。京都外大を卒業し、55年4月に日本旅行に入社した後は、「あだ討ちツアー」「こてこてナニワ探検」などユニークなツアーを次々と企画し、名物添乗員となる。平成21年に社内で独自の旅行ブランド「ヒラタ屋」が立ち上げられ、代表を務める。西日本各地の観光大使を務めるなど、国内の観光業発展に向けた提言も積極的に行っている。

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