新年早々、1頭のクジラが世間をにぎわしました。体長約15メートル、体重約38トン、ハクジラ類最大種のマッコウクジラのオスです。2023(令和5)年1月9日、大阪湾の淀川河口付近に迷い込んでいるのを発見されて以来、種類や大きさ、安否、迷い込んだ理由、その対応に注目が集まり、多くの人が専門家の言葉に耳を傾けました。
報道で巨大クジラを目の当たりにし、正体がよくわからない生き物との邂逅(かいこう)のように感じた人もいたのではないでしょうか。
この事例のように、海生哺乳類が生きた状態で本来の生息域から離れた場所に「迷入(めいにゅう)」することや、海岸に「座礁」すること、あるいは死んだ状態で「漂着」すること、そして定置網や漁具に「混獲」されることをストランディングと言います。日本鯨類研究所のストランディングレコードによると、年間200件を超える年もあり、意外と多いことがわかります。太地町周辺海域でも、特に珍しいことではありません。
2007(平成19)年7月には、太地町の隣の那智勝浦町でクジラが座礁しているという情報を受け、駆け付けたことがありました。到着した頃には息絶えていましたが、その容姿には驚かされました。側頭部にはエラのような模様、細く小さな下顎には鋭い歯が並ぶなど、一見サメのような顔つきをしていたのです。図鑑をめくると、オガワコマッコウだということがわかりました。
大阪湾のクジラと同じ「マッコウ」がつきますが、成長しても3メートルに届かない小型種です。生きている姿はほとんど観察されていないということもあり、レスキューに間に合わなかったことを悔やみつつ、外部形態の調査と、研究標本用に血液や骨格などを採材しました。
2009(平成21)年1月には、太地町沖の大敷定置網にセミクジラが混獲されました。成体では17メートルに達する大型種です。遊泳が遅く、死んでも浮くことから、手銛(てもり)と網で捕らえる太地古式捕鯨の鯨捕りが率先して追っていたクジラです。古式捕鯨時代の総指揮所である山見が置かれていた町内の燈明(とうみょう)崎からも一望しましたが、その巨体をはっきりととらえることができ、古式捕鯨の情景が目に浮かびました。近年、生息数は極めて少なく、網を落として逃がす計画を立てましたが、翌日には姿が見えなくなりました。脱出したとみられます。
海洋に面する地域であれば、どこでも遭遇する可能性があるクジラ。しかし、関心が高い一方で、まだまだ謎が多く、どのような生き物かもよく知られていないのではないかと思います。くじらの博物館は、鯨類に関する資料を収集展示し、かつ生きた鯨類も飼育展示する施設です。自然界に生きるクジラの「窓」になり、入館者や多くの人に見聞を広げてもらい、身近な生き物に変えていくことも使命であると考えさせられました。
(太地町立くじらの博物館館長 稲森大樹)