昭和52年はスポーツ界やエンターテインメント界で大きな「事件」がいくつも起こった。『小林繁伝』とは関係ない? いや、そんな時代を小林が生きた―ということを残しておきたい。
7月17日、東京・日比谷の野外音楽堂で開かれた『サマージャック77』のフィナーレでキャンディーズが突然、解散を宣言したのである。
大ヒット曲「春一番」「ダンシング・ジャンピング・ラブ」を歌ったあと3人がセンターマイクの前に並んだ。
「みなさん、静かにしてください」とランが両手で歓声を押し沈めた。
「わたしたち、解散することにします」
ファンは息をのむしかなかった。
「わたしたちデビュー前に〝3年間だけ頑張ろう〟と約束したんです。もう6年もたちました。9月で解散します」
泣き崩れた3人はスタッフに抱きかかえられるようにして楽屋へと消えた。
解散宣言は所属の渡辺プロダクションやCBS・ソニーにとっても寝耳に水の出来事。だが、3人と会社との話し合いは6月ごろから続けられていたという。では、なぜ、突然の宣言になったのか―。
翌7月18日、東京・西銀座のクラブ「メイツ」で緊急記者会見に臨んだ3人はこう語った。
「ステージから一緒に汗を流してくださっているファンのみなさんを見ていたら、もうウソをついていられなくなったんです」
「一人で戦っていかなければならない時期が必ず来る。だから、約束通りもう〝普通の女の子〟に戻ろう―って」
『普通の女の子に戻りたい』は当時の流行語になった。
当時、小林は24歳。もう大人だ。だが、少なからず影響されていた。
3年後の昭和55年8月16日、後楽園球場で巨人・江川VS阪神・小林の〝初対決〟が実現した。
「去年、巨人への意地は果たした。でも、江川との対決が終わらなければ〝阪神の小林〟にはなれない」
結果は5―3で巨人の勝ち。試合後、小林はホッとした表情でこう言った。
「これでボクも〝普通の野球選手〟に戻れます。自分でまいた種でもないのに、いつも人の興味にさらされて…。もうボクと江川、ボクと巨人のことは終わりです」
キャンディーズと同じ心境だったのだろう。(敬称略)