えぐられたような巨大な前方後円墳。国内2番目の規模を誇る応神天皇陵古墳(大阪府羽曳野市、5世紀前半)の航空レーザー測量図を見ると、前方部の西側が大きく崩れているのが一目で分かる。ほぼ真下に活断層が走り、マグニチュード(M)7以上の大地震が原因という。なぜ活断層の上に築かれたのか-。不安定な地盤と知りながら、ライバルを意識して無理に巨大化したためとの見方も。崩れた墳丘の姿から、連合政権とされるヤマト王権内の主導権争いも垣間見える。
活断層が墳丘縦断
墳丘長は425メートル。前方部側に設けられた「拝所(はいしょ)」に立つと、鳥居の背後にある雄大な墳丘に圧倒される。しかし、古墳の西側に目をやると、急に崖のように落ち込んでいる。誉田断層の痕跡だ。