阪神に移籍した小林から筆者は、王さんのエピソードをよく聞かされた。その中で一番驚いたのが「セーフティーバント事件」である。
「6年間巨人にいて1度だけ王さんのセーフティーバントを見たことがあるんだ。あれはボクが2度目の18勝を挙げた年だから昭和52年のシーズンだ」
52年といえば王がハンク・アーロンの世界記録を抜いた年。まさか…と思って記録を調べてみると―。
◇6月15日 後楽園球場
広島 000 020 000=2
巨人 101 000 001x=3
(勝)新浦4勝1敗1S 〔敗〕望月3敗
なんと、本当だった。
2―2の同点で迎えた八回、それまでノーヒットに抑えられていた王が先頭打者で初球を三塁前へセーフティーバントを試みたのだ。投手の望月が捕って一塁アウトとなったが、一発を期待していたファンや巨人ベンチは呆然(ぼうぜん)。その中に小林もいたという。
「ボクは巨人の一員ですよ。やはりチームが勝つ―ということを考えねばならない。〝王シフト〟だったし、三塁線へ転がせば二塁打のケースだってある。ボクはただホームランを打つだけの野球をやっているわけじゃない」
試合後の王は記者たちの「なぜ?」の質問に少々、いらだちをみせたという。
当時の記者たちの記憶にある王のセーフティーバントは、39年7月15日の広島戦。広島の白石監督が初めて〝王シフト〟を試合で敷いたときだ。王は誰も守っていない三塁線へセーフティーバント。結果は二塁打となった。そのとき、王はこういった。
「相手がいないところを狙うのは気持ちのいいものじゃないね」
そんな王がセーフティーバント? 実は王はしっくりこない打撃に悩んでいた。小林は国松打撃コーチに「王さんは何を悩んでいるんですか」と尋ねたという。
「国松さんも分からないって。普通の選手ならどうでもいいことが、王さんには〝のどに刺さった小骨〟のように気にかかるらしい。それが何なのかは王さん自身にしか分からないって」
この日、長嶋監督は「ワンちゃんは悩んでいる」といって打順を「4番」から「3番」に変えていた。ちなみに、この時の王の成績は打率・295、15本塁打、42打点。長嶋監督には何を悩んでいるのか、分かっていたのだろうか。(敬称略)