「車いすテニスをスポーツに」 社会変革目指した国枝さん、東京パラ「金」で手応え

引退会見に臨む車いすテニスの国枝慎吾選手=7日午後、東京都江東区(春名中撮影)
引退会見に臨む車いすテニスの国枝慎吾選手=7日午後、東京都江東区(春名中撮影)

車いすテニス男子の第一人者、国枝慎吾さん(38)が現役生活に別れを告げた。7日の引退会見で強調したのは、競技会とは別の〝闘い〟を続けてきたという自負だった。「車いすテニスを社会的に認めさせたい、スポーツとしていかに魅せるかにこだわってきた」と競技を通じた社会変革を目指してきた。

発端はパラリンピックに初出場し、ダブルスで金メダルを獲得した2004年のアテネ大会だった。「金メダルをとっても(新聞の)スポーツ欄になかなか載らない。(当時はまだ)福祉、社会的意義があるものとして伝わっていた」と振り返る。

06年に世界ランキング1位に、08年北京パラではシングルスでも初優勝。スポーツとしての地位向上を目指し、09年にはプロ転向を宣言した。「魅せながら勝つことが必要になる。プロ一本の生活は厳しいと覚悟しているが、成し遂げられれば障害者スポーツに携わる人たちに夢を与えられる」と障害を持つ選手がスポンサーを獲得して競技に専念するモデルケースを確立させた。

パラスポーツ全体の認知度も徐々に向上。集大成となった21年の東京パラを制した後は「スポーツとしての手応えがあった」と反響の大きさにかつてない達成感を得たという。

生涯ゴールデンスラムを達成した22年は「みなさんの(車いすテニスを見る)目を変えたいというプレッシャーを一度も感じなかった。純粋に相手と向き合えるようになった」。自らの使命を完遂させたシーズンを誇らしげに振り返った。(奥村信哉)

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