「ロシアは変わらない」 国後島元島民、野口繁正さん(80)は語る

国後島の地図を指さしながら脱出当時の様子を語る千島歯舞諸島居住者連盟副理事長の野口繁正さん=1日、札幌市内(坂本隆浩撮影)
国後島の地図を指さしながら脱出当時の様子を語る千島歯舞諸島居住者連盟副理事長の野口繁正さん=1日、札幌市内(坂本隆浩撮影)

「ソ連兵は勝手に入ってきて(北方領土の島を)取っていった。ウクライナも同じだなと思う」。千島歯舞諸島居住者連盟の副理事長として北方4島の返還を訴える活動をしている野口繁正さん(80)=札幌市=は3歳の時、家族や親族とともに国後島を脱出した。ロシア軍によるウクライナ侵攻開始から1年がたつのを前に、ロシアの非道を静かな口調で非難する。

国後島では、50世帯ほどの村で穏やかに暮らしていたが、馬に乗ってあらわれた8人ほどのソ連兵によって生活は一変。銃などの兵器のほか万年筆や時計など高価なものがないか、家探しされた。当時の鮮明な記憶がある。「ソ連兵に抱っこされた。子供好きの兵隊だったとは思うが、目の色も違うし、とにかく怖くてぎゃんぎゃん泣いた」

嵐の夜、村に残った7世帯でひそかに船で脱出。親族を含めると12人が船倉に乗り込んだ。持ち出せる荷物は1人につき「風呂敷ひと包み」だけ。根室の港を目指したが、嵐で船が故障。漂流の末、知床半島の羅臼の町に着いたのは出発から4日後。「みんな、すぐ帰るつもりだったから島に近い羅臼に入植した。こんなに長く帰れなくなるとは」。北方領土には40回以上訪問したが、故郷の村に行けたのは3度だけ。近くに国境警備隊の建物があるのがその理由だ。

両親は、島の思い出話をほとんどしなかった。「父は『行きたくない』と言って、一度も島に行かなかった」。辛い時代の記憶に触れたくなかったのか、それとも平穏な暮らしを奪われた悔しさなのか。その真意は分からないという。

北方領土の返還を求める動きは世界情勢に大きく影響される。希望は捨てていないが、元島民の高齢化が進む。

「元島民がいなくなったら返還運動はどうなるのか。そのことが一番気掛かり」

野口さんはこう話し、静かに故郷の島の地図を見つめた。(坂本隆浩)

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