誰見ても富士とやいわん建部やま みとりの松にかゝるしら雪-。
江戸時代に丹後の古刹(こさつ)、桂林寺の住職が、雪をかぶった山容を目にし詠んだ詩だ。
京都府舞鶴市にそびえる建部山(たてべさん)(標高315・5メートル)。地元では「たけべさん」と呼ばれ、そのシルエットから「丹後富士」の異名を持つ。
ただ、現在の峰の姿は近世と大きく異なっている。明治34(1901)年に海軍の鎮守府が置かれて以来、建部山が見下ろす舞鶴港は日本海における国防の要衝となった。ロシアとの戦争に備え、砲台を築くために陸軍が山頂を削ったのだ。先の大戦中も高射砲が置かれ米軍機を狙っていたという。
頂上へ続くかつての軍用道路に足を踏み入れた。軍が使用していた時代から80年近くがたち、今はトレッキングコースになっている。緩やかな上り道に覆いかぶさる落ち葉や倒木が、流れた年月を物語っていた。軍が整備したのだろう。所々、斜面には補強工事が施され、石積みの橋もある。山頂には弾薬庫が朽ち果てたまま残っていた。
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海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」と建部山 =京都府舞鶴市(萩原悠久人撮影)
「登山道には転回用のものだと思われる広場もあり、自動車ではなく馬車で物資を運んでいたのだろう」と麓に住む阿波伊佐実さん(74)は推測する。
早朝、舞鶴港を見晴らす展望台に立った。東の港には自衛隊の護衛艦が浮かんでいる。西へと目を移すと漁船が行き交い、コンテナ船が停泊していた。静かにたたずむ建部山は、均整の取れた輪郭を海面に落としているだけだ。風は冷たいが雪はまだない。詩に詠まれたような雪化粧した姿を拝むには、少しばかり早く来てしまったようだ。
(写真報道局 萩原悠久人)