論説委員 日曜に書く

木村さやか 本当の「社会化」はいつか

NPO法人「となりのかいご」代表理事の川内潤さん
NPO法人「となりのかいご」代表理事の川内潤さん

「ああいう言い方をしてよかったんだろうかと、今も悩んでいます」

働く人の介護相談に取り組むNPO法人「となりのかいご」代表理事の川内潤さん(42)はこう言う。昨秋出版した共著『親不孝介護』のことだ。

「介護=親のそばにいる=親孝行」という固定観念を「親孝行の呪い」と表現し、それに縛られるから親の介護が「辛(つら)く苦しい」のだと指摘。子が直接介護するのではなく、適切な距離をとってプロに任せるべきだと説いた書は、年間約600件の介護相談に携わってきた経験からたどり着いたものだ。とはいえ、「そこまで口をはさんでいいものか」という自問自答は尽きないという。

それでも言う。「あなたは親孝行と思って介護しているかもしれないけど、お母さんは本当は望んでいないんじゃないですか」。親孝行のためにと自分を犠牲にして介護に奮闘した挙げ句、子が親に手を上げてしまうような悲劇を、決して生み出したくないからだ。

年10万人近くが離職

平成12年4月に始まった介護保険制度は家族介護を美風としてきた風潮にあらがい、「介護の社会化」を目指した。多くの女性が「嫁介護」の呪縛から解き放たれたが、家族介護を前提に設計されたため、理念にはほど遠い「部分的な社会化」にとどまっているのが現実だ。

令和元年の「国民生活基礎調査」によると、要介護者の「主な介護者」が同居者だと答えた世帯は全体の54・4%。同居者の介護時間が「ほぼ終日」と答えた世帯は「要介護3」で32・5%、「要介護5」では56・7%に達している。来年度の介護保険制度改正に向けた議論の最大の焦点は給付と負担の見直しだが、本当の「介護の社会化」を進めない限り、近年、年間10万人近くに上っている介護離職を防ぐことはできないだろう。

「本人のため」の介護

ただ、川内さんは「たくさん手出しすることが本当に良い介護なのか。本人のための介護とは何か、という議論が足りないのではないか」と話す。

福祉先進国のデンマークで1982年に提唱された高齢者福祉の3原則は、「人生の継続性」と「自己決定」を尊重すれば、誰もが持つ「自己資源(残存能力)」が発揮され、社会全体の支出を少なくすることができる、というものだ。「できないこと」が増えていく親の生活を、子の目線で支えようとすれば、「支え切れないのは当たり前です」と川内さんは言う。

「『何かあったらいけないから』と、見守りという名の下に終日監視カメラで見張られたら、嫌でしょう? 家族の不安解消と本人の自立支援とは、分けて考える必要があるんです」

家族が要介護になると「こうしてあげたい」との思いは無限に広がるが、子は親を客観視できないため、冷静で適切なケアにはつながらない、という。「適切な距離」は親という一個人を尊重し、親子関係を大切にするために、必要なのだ。

心の安全地帯

大学卒業後、外資系コンサル会社勤務を経て在宅・施設介護職員として11年働いた川内さんだが、介護相談事業を営むようになって初めて「要介護者の家族はこれほど悩んでいたのか」と気付いたという。介護職の支援対象は要介護者のため、家族自身の詳しい事情や、心の奥底までは見えていなかった。

介護職が最初に学ぶのは「自分の親の介護はできない」だという。「明るい自慢の母」「威厳ある父」が「ダメな老人」になっていく姿に怒りや悲しみを覚えるのは、子供にとって親は永遠に「心の安全地帯」であり、その崩壊に直面するのは耐え難いことだからだ。責任感が強く愛情深い人ほど、自分を責める傾向が強いともいう。

病や障害はその人の一部であって、すべてではない。わかっているはずなのに、こと家族になると私たちは情的にとらわれがちだ。「良くなってほしい」「苦しい思いをさせたくない」と思うほど良いケアができなくなり、親子ともに苦しむとは、なんて悲しいことだろう。

川内さんは、この世を去ろうとする人が自分の痛みや不安より「娘は風邪をひいていないか」「息子の仕事は大丈夫か」と家族を思う姿をたくさん見てきた。家族のささやかな日常こそ、終末期の人が生きる力になるといい、こう言う。

「親のそんな思いを受け取り、自身の生活に生かすことこそ、親孝行ではないでしょうか」(きむら さやか)

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