神奈川県立湘南高に進学すると、中学時代以上に部活に時間を費やし、勉強の難易度も上がった。「高校野球はやっぱりみんな甲子園を目指しますし、週6回、土日は一日中やっていたので、そういう意味では部活によりウエートを置くようになりました」。そんな中、校内テストでは10~20番をキープ。「頑張れば東大にいけるかなというのはどこかで思っていた」と振り返る。
試験前は部活より勉強中心の生活となったが、その期間だけではテストの範囲を網羅することは難しい。「やはり基本的には授業でできるだけ咀嚼(そしゃく=理解)しないといけないと思います」と宮台さん。地頭の良さを感じさせる。
早朝に家を出て、体力を使い切って帰宅する。「確かに眠かったですよ。やっていることは(中学時代と)変わらなくて、眠かったら朝早く学校に行って朝の時間にやる。(分からないことは)誰かに聞く。あまり分からないことを放置しない方が。積み上げなので。分からないことの上には何も乗らないし、積み上がっていかないので」。
学校に行ったのは「自分一人で律するのが難しいので、野球をやるにしても勉強にしても、誰かが頑張っているそばに行くのが一番いい気がしました」とその理由を語る。
部活の方はどうだったのか。自主練習をこなす選手もいるが、「すごく長時間やるので、プラスアルファ自分でやるというよりはプラスアルファを含めて全体練習という感じでした。個人練習をする人もいるんですけど、非効率だと思ったので帰りました」という。
高校1年秋から外野手として公式戦に出場し、2年生から投手兼任に。3年春の背番号は7、夏はエースナンバー「1」を背負った。直球は130キロくらいだったという。最後の夏はもう一人の投手と順番に先発し、3回戦で海老名高に敗れた。この試合、宮台さんは救援だった。
最高成績は3年春のベスト8。「やり残したことは」との問いに「全くないですね」と即答したが、「それ以上は難しかった、逆に言うと」とも。
宮台さんが高3だった2013年夏、神奈川高校野球界で最も注目されていたのは桐光学園のエース、松井裕樹(現楽天)だった。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表だ。その桐光学園も神奈川を制することはできず、甲子園切符を勝ち取ったのは伊藤将司、高浜祐仁(ともに現阪神)、浅間大基(現日本ハム)、渡辺佳明(現楽天)らがいた横浜高だった。