国立国際美術館(大阪市北区)で4日、「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」(産経新聞社など主催)が開幕し、多くの美術ファンが訪れた。日本初公開のピカソの「緑色のマニキュアをつけたドラ・マール」「黄色のセーター」などの目玉作品の前には人だかりができ、作品の細部までじっくりと鑑賞する姿が見られた。
本展は、ベルクグリューン美術館の改修工事を機に、主要作品を館外で一堂に展示する世界初の展覧会。画商だったハインツ・ベルクグリューン(1914~2007年)の収集した作品を主に、ピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティら20世紀美術の巨匠たちを中心とする個性的なコレクションが特色。本展ではピカソ35点を含む76点が日本初公開作品となっている。
同展は5月21日まで。展覧会の詳細は公式WEBページで。
■絵画のセオリーを逸脱
今回、来日したピカソの43作品のなかで目玉のひとつとされるのが、「大きな横たわる裸婦」。縦129・5センチ、横195センチの大きなキャンバスに描かれているのは西洋画の伝統的なモチーフである裸婦像だ。
洋画に描かれる裸婦は、豊かさと健康美のシンボルでもあり、明るくはつらつと描かれるのが一般的だ。ところが、このピカソの裸婦はそこから大きく逸脱している。
まず、画面が暗い。モデル女性がいるのは、光が制限された閉ざされた空間。殺風景なソファに横たわる女性はやせたからだをねじり、まるで十字架にかけられたイエスのように両脚を交差させる。瞳を閉じているのは眠っているからだろうか。しかし、まるで悪夢でも見ているような沈鬱な面持ちだ。
■ナチスの監視下で絵筆
大西洋岸のロワイヤンという町に住んでいたピカソは1940年、パリに戻った。そのパリはこの年、ナチス・ドイツの占領下に置かれた。
当時、ピカソの作品はナチスの文化政策の下で、「退廃芸術」という烙印(らくいん)を押され、押収の対象とされていた。もちろん、ピカソ自身もナチスの秘密国家警察(ゲシュタポ)から目をつけられる存在だった。
実はこの絵は要注意人物として監視下に置かれたピカソが42年、パリのグラン=ゾーギュスタン通りにあるアトリエにこもってひっそりと描いたものである。
つまり、華やかな主題であるはずの裸婦が陰鬱に描かれているのは、ピカソがこの絵のなかで「戦争」という状況を表現しようとしたからなのである。
多くの芸術家が米国に逃れ、あるいはナチスの美術政策と妥協してゆくなか、芸術の都に残ったピカソは、その芸術を武器に戦争というものに抗し続けた気骨のある画家だった。
■「ゲルニカ」の系譜、20世紀を象徴
彼の代表作のひとつで戦争をテーマにしたものに「ゲルニカ」がある。故国スペインのゲルニカがドイツによって都市の無差別攻撃をうけた際、その悲惨さを描き残したもので、20世紀を象徴する絵画であると評されることもあるが、この「大きな横たわる裸婦」もまた、その延長線上で語られるべき1枚だろう。
だからこそ、ナチスの抑圧から逃れて米国に渡った経験をもつユダヤ人のベルクグリューンは、なんとしてもこの絵を手に入れようとした。
展覧会を監修した武蔵野美術大学の村上博哉教授は「ベルクグリューンはこの絵を晩年、オークションで手に入れるのですが、彼はこの1点で自分の生きた20世紀という時代をコレクションのなかの象徴にしようとしたのかもしれません」と語る。
コレクター自身の生きた時代の証言としての大きなピース。それが、戦争の時代を物語る、この絵なのである。(正木利和)
■ベルクグリューンと美術館
ベルリンのユダヤ人家庭に生まれたハインツ・ベルクグリューン(1914~2007年)はナチス政権の抑圧を逃れて1936年に渡米し、フリーの美術ジャーナリストや美術館勤務を経験。第二次大戦後にパリで画廊を開き、ピカソらの知己を得て世界的な画商に。その後、自分の心にかなった作家の作品収集に専念、個性豊かなコレクションを作り上げた。後に欧州各地で公開されたコレクションが話題を呼び、96年にはベルリンで公開、2000年に主な作品がドイツ政府などの資金援助で買い上げられ、ベルリン・ナショナルギャラリーに収蔵された。その4年後、彼の90歳を記念してベルクグリューン美術館と改称され、今に至る。