35年にわたって全国高校ラグビー大会を実況してきた毎日放送アナウンサー、赤木誠さん(64)が今冬の第102回大会で「最後の花園」を迎えた。歴史に刻まれる幾多の名勝負を伝え、指導者や選手から厚い信頼を寄せられた高校ラグビーの「生き字引」といえる存在だ。65歳になる今秋で局を去るが、「体力が続く限り、ラグビーを追いかけていきたい」とその情熱は衰えを知らない。
最後の言葉
鹿児島県生まれの赤木さんは昭和56年に九州大を卒業し、毎日放送に入社。アナウンサーとしてプロ野球や高校野球、駅伝、ボクシングなど数々のスポーツ実況に携わった。平成30年10月に定年退職後も、シニアスタッフとして高校ラグビーの実況を担当。これまでに実況した試合は「数えたことはないけれど、120~130試合はいっているかも」と笑う。
最後に実況を務めたのは1月3日に行われた準々決勝の天理(奈良)-長崎北陽台戦。試合は天理が8-5でロースコアの接戦を制し、18大会ぶりの4強を決めた。若々しく歯切れのよい声で激闘を熱っぽく伝え「最後だなあと思う余裕はありませんでした」と振り返る。最後は『実況担当は花園をお伝えして35年の赤木誠』の言葉で締めくくった。
名勝負を目撃
入社1年目に監督や選手のインタビューを任されてから約40年。脈々と語り継がれる名勝負を何度も目撃している。
初めて中継に携わったのは昭和58年度の第63回大会。決勝の天理-大分舞鶴戦は終了間際に大分舞鶴がトライを奪い、2点差に詰め寄る。ゴールキックが成功すれば両校優勝となるところだったが、福浦孝二主将のキックは左にそれ、ノーサイドの笛が鳴った。松任谷由実さんの名曲「ノーサイド」のモデルとなった試合だ。「こんなドラマが待っていたんだ、と。あの日は夕暮れが早く、少し暗かったことが印象深く残っています」
初実況は67回大会(62年度)予選の大阪第1地区決勝、北野-牧野戦。全国大会の実況デビューも、1回戦の北野-北見北斗(北北海道)戦だった。地元大阪でも指折りの進学校は46大会ぶりに出場したこの年、3回戦まで勝ち進み、「北野旋風」を巻き起こす。左WTBはのちに大阪府知事、大阪市長を歴任した橋下徹氏だった。
初めて決勝の実況を担当したのは79回大会(平成11年度)。東海大仰星(現東海大大阪仰星)が31-7で埼工大深谷(現正智深谷)を破り、初優勝を飾った。東海大仰星の当時の主将は現在同校を率いる湯浅大智監督だ。
くしくも最後に決勝を実況した97回大会(29年度)も東海大仰星が優勝。インタビューでむせび泣く湯浅監督の姿に「高校生のときから大人のように冷静だった湯浅先生の涙は印象的でした。起承転結。これも何かのめぐりあわせでしょうか」と感慨をにじませた。
築いた信頼関係
約40年にわたって高校ラグビーにかかわり、選手や指導者と信頼関係を築いた赤木さん。平成30年秋の定年退職に先立ち、100人を超える関係者が「お疲れさんパーティー」を開いてくれたエピソードからも、人望の厚さがうかがえる。「近畿以外からも来てくださって、人生で最も感動しました」
奈良大会の決勝を30年以上にわたって実況している縁で、天理や御所実などの関係者から記念のジャージーを贈られた。元日本代表CTB立川理道(たてかわ・はるみち、東京ベイ)からも、日本代表ジャージーをもらった。天理出身の立川は、高校時代からそのプレーを追い続けた選手だ。
御所実の竹田寛行監督は「心情的なことも踏まえ、何がチームの力になっていたのかをきちんと伝えてくれる。赤木さんの実況は国宝級です」とねぎらった。
赤木さんは高校ラグビーにのめり込んだ理由について「かかわっている方々の熱さじゃないですか。教育者でもある監督の皆さんは人間教育の部分を大切にされている。紆余(うよ)曲折あった子でも、卒業する頃にはすばらしいラグビー選手になって卒業していく。それが高校ラグビーの魅力かな」と話す。
花園の舞台は終止符を迎えたが、ライフワークでもある奈良大会決勝の実況は今後も続けるつもりだ。赤木さんは「貢献というと偉そうですが、どんなイベントでもいいので、高校ラグビーに恩返しができれば」と力を込めた。(嶋田知加子)
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あかぎ・まこと 昭和33年10月、鹿児島県生まれ。鹿児島・国分高校から九州大を経て、毎日放送入社。家庭教師をしていた生徒の父親が地方局アナウンサーだったことから、アナウンサーの道を選んだ。プロ野球、高校野球、駅伝、ボクシングなど多くのスポーツにかかわった。