昭和52年シーズン、開幕から約1カ月後の4月29日、衝撃的な「事故」が起こった。川崎球場での大洋―阪神3回戦。四回、佐野の満塁ホームランで逆転した阪神が1点リードして迎えた九回だ。
◇4月29日 川崎球場
阪神 000 400 030=7
大洋 100 002 031=7
(神)江本―山本和
(洋)高橋―小谷―田村
(本)山下⑥(江本)佐野⑤(高橋)ブリーデン⑪(小谷)松原⑧(江本)
1死一塁から代打・清水の放った左翼への大飛球を背走した左翼・佐野がジャンピングキャッチ。攻守にわたるファインプレーに虎ファンは息をのんだ。が、次の瞬間、悲鳴に変わった。
「ドーン」。鈍い音を立て、打球をグラブに収めたまま佐野がコンクリート製のフェンスに頭から激突したのだ。
「タンカや! はよ、タンカや!」
一緒に打球を追っていた中堅・池辺がベンチに向かって叫んだ。倒れた佐野は全身を痙攣(けいれん)させ、白目をむき、口から泡を吹いている。ぶつけた左側頭部からはドクドクと血が流れ出ていた。
グラウンドにすぐさま救急車が駆けつけ、川崎市内の病院へ搬送された。約3時間後、状況が判明した。
「頭蓋骨の線状骨折」。頭蓋骨に縦に8センチほどのヒビが入り、首筋の神経も痛めている。3週間は絶対安静が必要で全治1カ月の大ケガだ。そして、この佐野の事故がきっかけとなり、各球場のフェンスは衝撃を吸収するラバーで覆われるようになったのである。
余談をひとつ。事故から15年後の平成4年11月17日のこと。ドラフト会議を前に興奮している青年がいた。星稜の松井秀喜である。石川県根上町(現・能美市)の自宅に詰めかけた記者たちに―。
「すごいことですよ。きょう、阪神の佐野さんが来られるんです。佐野さんに会えるなんて、すごい。みなさん、分かってますか? あの佐野さんですよ」
「事故」が起こった当時、松井はまだ2歳で記憶にはない。だが、阪神ファンの両親が佐野のファイトあふれるあのプレーを何度も語って聞かせるうちに、松井は〝佐野ファン〟になった。
「もちろん現役時代は知ってますよ。いいとこで打つんですよ」
その佐野が「スカウト」として自宅にあいさつにやってくる。午後7時から約50分。佐野との対面は松井にとって「夢のような時間だった」という。(敬称略)