直球&曲球

野口健 娘とともに「山は人を育てる」実感

登山家の野口健氏(三尾郁恵撮影)
登山家の野口健氏(三尾郁恵撮影)

「してもいい無理と、してはいけない無理があるんだよ。ここから先はしてはいけない無理」と娘に伝え、山を下ったのは約10年前。小学4年生の娘を冬の八ケ岳に連れて行ったときのやり取りだ。吹雪の中、「指が痛い」と泣いていた娘が下山後、「キリマンジャロ(アフリカ最高峰、5895メートル)に登りたい!」と言って僕を驚かせた。

それから約3年間、キリマンジャロを想定した2人合宿を繰り返した。雨が降る中、10時間以上歩かせたことも。そして、2019年7月、キリマンジャロに登頂。山頂直下で天候が急変。吹雪で視界が遮られる中、寒さに耐えながら山頂に立ったときには2人で抱き合って涙を流した。それだけギリギリの状況だった。最終キャンプに戻ったときの娘の発言に耳を疑った。「あの状況で登れたのだから、次は6000メートルだよね~」

あれから4年。今年1月、僕らはヒマラヤのアイランドピーク(6189メートル)を目指した。厳冬期の6000メートルは過酷。まずは低酸素に体を慣らすために徹底的に高所順応を行った。最大の敵は風だった。他のチームは強風のために撤退。しかし、風が弱まるときは必ずくる。その隙間を狙えばやれる。娘には「気持ちさえ切れなければチャンスはある」と伝えた。

そして、1月18日に狙いを定めた。早朝、強風の中、アタックを開始。暗闇の中、ヘッドランプに照らされた娘の顔は寒さのあまり苦悶(くもん)の表情。しかし、日の出とともに風が弱まり、核心部の氷壁に取りかかったときにはピタリとやんだ。落石や、ズタズタな氷河の状態に苦戦はしたものの、午前11時にアイランドピークに登頂。1畳ほどの狭い山頂で固く握手を交わした。八ケ岳で泣いていた娘の顔とはまるで違う明確な意思を感じた。山は人を育てるのだ。

フラフラになりながら2人してベースキャンプに戻った。「紙一重だった。18歳の娘にむちゃさせすぎたかな」と内心ゾッとしていた。と、そのとき「ね~パパ、大変だったね。もうさ、人生で一番疲れたよ。ね~次はどこを狙う?」。もう驚かない僕がいた。もう一丁、やりますかって。


野口健

のぐち・けん アルピニスト。1973年、米ボストン生まれ。亜細亜大卒。25歳で7大陸最高峰最年少登頂の世界記録を達成(当時)。エベレスト・富士山の清掃登山、地球温暖化問題など、幅広いジャンルで活躍。新刊は『父子で考えた「自分の道」の見つけ方』(誠文堂新光社)。

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