《新型コロナウイルス感染者の国内初確認から3年が過ぎた。医療に政治、経済。この間、混迷が各方面で広がった》
日本人は自分の頭で考えて行動するのではなく、「どのような行動をしたら社会の中で受け入れられるか」で行動する傾向が非常に強いことが3年間で浮き彫りとなった。マスク着用やワクチン接種も全体の流れに乗っかるだけで、安直に解決策を求めて盲信する。それに従う人と従わない人との間には境界線が引かれ、対話も議論もない。そんな異論を許さない空気感が社会全体に出来上がってしまったように思う。
《世界では欧米諸国を中心に早々とコロナとの共生にかじを切り、対策を緩和する動きが主流に。英国は昨春に水際対策を含む全ての規制を撤廃し、米国も大半の規制を解除した》
感染症への社会的許容度を決めた海外と日本は大きく異なる。日本は感染のリスクが少しでもあれば、他の面でどんなマイナスの影響が出ようとも徹底的に対策を講じようとしていた。
日本人は異なる意見の人がいるという状況に耐えることに慣れていない。つまり異論への許容度が低いということだ。近年、ダイバーシティー(多様性)などとうたわれる一方、考え方の違うもの同士の対話はほとんどない。口先だけの方針だったことがコロナ対策で顕著になった。そんな状況で、今までの動きが大きく変わることはない。
リスクを極端に回避しようとした結果、人と人のつながりが失われた。感染リスクに重きを置いて学校の行事は中止に。面会やお見舞い、葬儀も大幅に制限された。学校や職場などの組織は極端にクレームを恐れ、結果的に「全体主義」へと傾いていったのではないか。
《政府は5月8日からコロナの感染症法上の位置づけを「5類」に引き下げる。対コロナ政策が大きく変わるとの見方もある》
本来はウイルスの強さや感染力によって分類は決まるはずだ。今春、いきなり感染力が落ちるわけではない。科学的な根拠をもとに、コロナは5類程度の感染症と判断した時点ですぐに引き下げるべきだった。
政府は専門家に(コロナの扱いを)引き下げた方がいいかを議論させるのではなく、引き下げる方針を決めてから対応を委ねている。専門家は科学的な面で知見を持つが、その知見を社会にどう生かすかについて全くの素人だ。また議論に参加している専門家が極めて限定的なのも問題といえる。さまざまなリスクがある中、どこに焦点を当てるのか。人によってリスクの許容度も異なる。市民など幅広い階層の人を議論に加え、十分なコミュニケーションをとることが本来、望ましかった。(聞き手 木下未希)
こくぶ・かつひこ 大阪市立大学博士(経営学)。大阪市立大助教授などを経て、平成7年に神戸大経営学部助教授。13年から神戸大大学院経営学研究科教授。専門は社会環境会計、経営倫理。著書に『ワクチンの境界 権力と倫理の力学』など。