三菱重工業の社長や会長を10年間にわたり務め、三菱グループの重鎮としても知られた相川賢太郎(あいかわ・けんたろう)氏が1月17日未明、腎不全のため自宅で死去した。同社が2日発表した。95歳。長崎市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行った。
東京大学第一工学部を卒業し、昭和26年に西日本重工業(現三菱重工)に入社。出身地の長崎造船所の副所長や所長を務めた後、常務、副社長を経て平成元年に社長に就任。7年には会長となり、11年に相談役に退くまで、10年間にわたり社長、会長を歴任した。令和元年6月からの2年間は名誉顧問となっていた。
昭和53年には、第20回科学技術庁長官賞(科学技術功労者表彰)を受賞。63年には紫綬褒章を受章している。また、平成6年からは日本航空宇宙工業会会長を務めたほか、日本産業機械工業会会長、日本造船工業会会長などを歴任した。
三菱自動車元社長の相川哲郎氏や大成建設社長の相川善郎氏は子息に当たる。