2度どんでん返しの「新小学校名」後味悪い決着に開校後も残る火ダネ

「解散」した学校統合準備委員会の終了後、取材を受ける鳥取県倉吉市教委の小椋博幸教育
「解散」した学校統合準備委員会の終了後、取材を受ける鳥取県倉吉市教委の小椋博幸教育

児童数の減少に伴い今年4月に2校が統合して発足する鳥取県倉吉市の小学校の校名をめぐり、市教委から校名選定を託された校区代表らの案が、2度にわたって覆され、現在の校名「成徳」のままとすることが市議会で決まった。もともと「現在の校名は使わない」という前提で、校名を公募したが、それぞれの地区の思惑も入り乱れ、異例の展開をたどることになった。

学校統合に伴う校名選定をめぐり2度にわたってどんでん返しがあり、結局、現行の名称が使われることになった鳥取県倉吉市立成徳小学校
学校統合に伴う校名選定をめぐり2度にわたってどんでん返しがあり、結局、現行の名称が使われることになった鳥取県倉吉市立成徳小学校

怒りの「解散請求」

「これまでの議論が全部否定され、委員会の存在は不要であると考える」

市議会の校名決定を受けて1月20日に開かれた「学校統合準備委員会」。統合する「成徳」「灘手」両小学校の保護者や地区の代表らが顔をそろえた委員会の席上、坂本操副委員長が発言を求め、灘手側委員の総意として、市議会への怒りをにじませながら「解散要求」を読み上げた。

準備委は「役割をおおむね終了した」として、予定されていた次回会合を開かず、この日で「終結」とすることを決定。その上で、長期にわたる議論を振り返り、「今回の騒動で子供たちの心に深く傷をつけた」と嘆いた。

4月に鳥取県倉吉市立成徳小学校と統合する灘手小学校。新校名をめぐって混乱した
4月に鳥取県倉吉市立成徳小学校と統合する灘手小学校。新校名をめぐって混乱した

発端は公募

学校の合併には、地区の思いも絡み合う。当初は、旧学校名は使わない前提で議論されていた。成徳側は教育理念を表す「至誠」、灘手側が、市のシンボル的な地名の「打吹(うつぶき)」を候補に選んで検討された。

準備委では激しい議論もあったが、6月には一致して「至誠」を選び、9月には、校名を「至誠」と定めた学校設置条例改正を市議会が可決し、校名問題はいったん決着したかにみえた。

ところが、大混乱はここから始まった。「至誠」が公募結果と乖離(かいり)しているとして、最初のどんでん返しが起きたのだ。

アイデアの公募には、341件の応募があり計119案が提案されていたが、決定した「至誠」はわずか1票だけ。150票も集まった「打吹」が選ばれていなかったことに不満の声が集まったのだ。

決定を不服とする市民らから、「選定プロセスがおかしい」などの声があがり、校名を盛り込んだ学校設置条例の廃止を求めて倉吉市に直接請求する動きが始まった。その結果、請求に賛同する署名が1カ月足らずで必要数の6・3倍にあたる4815人分集まった。

請求理由では「公募のうち応募少数のものが選ばれた」などとしていたが、同市の広田一恭(かずやす)市長は「ルールに基づき選定された」と否定。しかし、「短期間でこれだけの署名が集まった事実は重い」として、市議会に条例廃止案を提案。可決され、協議は準備委に差し戻された。

そして、昨年12月末に再選定のため開催された準備委では、「打吹と至誠は地域の方々が思いをのせて出された校名候補。両方を合わせて『打吹至誠』小学校というのもよいではないか」との案が出され、それが準備委の結論となった。

市長提案は採決されず

ところが、再度のどんでん返しが1月17日の臨時市議会で起きた。

広田市長が提案した「打吹至誠」に対し、議員側から「打吹」と「成徳」とする修正動議が相次いで出され、採決の結果、「成徳」が賛成8、反対7で可決された。別に採決された「打吹」は賛成2、反対13で否決、「打吹至誠」は採決に至らなかった。

成徳への修正動議について提案した議員は「打吹至誠に納得いかないという市民の声が多く、このまま決まると新たな紛争が懸念される。(今後予定されるもう1校との統合時に)あらためて校名を検討するか、4月の開校後のしかるべき時期に協議・検討するのが適切」とし、「リスクを抑えるため、現状のまま開校するのが望ましい」と説明した。

20日の準備委では、灘手側委員が「(今回の混乱で)統合小学校には行きたくないといっている児童がいる」と明かし、市教委に対応を求めた。

小椋博幸教育長は「児童に対してはできる限りの対応をする。寄り添っていく」と言及。その一方で、委員から示された市教委に対する不信感について「言われていることはよくわかるが、両地域の合意、折り合いをとることを大事にしてきた」と話した。

校名をめぐる地区間の攻防は、折衷案では決着がつかず、結論を先送りの形となった。

灘手側の坂本副委員長は「議会の決定には不服。市教委は人ごとだった」と批判。「校名を一から決めるというから、バトルもあったが(双方で)努力もしてきた」と、長い議論が実らなかったことにむなしさを漂わせた。(松田則章)

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