昨秋から米国のコロンビア大学教育大学院で認知科学を学んでいます。人の心や思考を研究対象としている学問で、私は人の認知が教育にどういう影響を与えているのかを研究しています。
この分野を選んだ大きなきっかけは、私の受験の経験を描いてもらった本(『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』)に対する周囲のリアクションを見てきたこと。講演会などの教育活動を行うなかで、よく言われたのが「さやかちゃんは元々頭良かったから慶応に合格できたんでしょ」とか「自分は地頭が悪いから無理」といった言葉でした。
本当なら頑張れるはずの子が周囲の環境のせいで挑戦すらできない。私はただ環境に恵まれていて、「いやぁ違うんだよな、環境なんだよな」とずっと思っていたんです。
認知科学の世界で米国ではよく知られる「フィックストマインドセット」というものがあります。「成功する人はもともと才能があったのだろう」と信じ、努力をしても知性や才能は変わらない、変えることはできないという考え方です。この考え方によっていろいろな可能性を絶たれてしまうのは明確で、先の周囲の反応はまさにフィックストマインドセットの典型のコメントなんです。
子供が成功したときの親のほめ方がすごく重要で、「あなたはやっぱり賢い、さすがママの子」みたいな感じも否定はしないけれど、「正しい努力をしたんだね」とプロセスをほめる方がいい。結果に焦点を当てるフィードバックではなく、そこに至るまでにどういう努力をして時間を費やしたのかに注目して言葉をかけてあげてほしいのです。
留学は2024年春の卒業予定。具体的に何をするかは未定ですが、起業しようと思っています。より多くの人がより多くの選択肢を持ち、生きたいように生きられる力を持てるよう、お手伝いできる事業をしたいと思っています。
(「ビリギャル~」著者の)坪田(信貴)先生と初めて会ったのは高校2年生の夏でした。「こんなに話を聞いてくれる大人がいるんだ」と衝撃でした。
当時の私は生意気なギャルで、大抵の大人は眉間にしわをよせるような格好や振る舞いをしていました。中学受験を経て大学付属の学校に入り、「二度と受験しなくていいんだ」とすっかり勉強をせず遊んでばかり。先生からはクズ呼ばわりされ、大人に心を閉ざし、大学になんて行けなくていいやと思っていました。
学校から呼び出されるほどで大学への推薦も危うい状態。そんなとき出会ったのが坪田先生でした。坪田先生は、私の容姿や学力で判断をしなかった初めての大人で。私の話をなんでも面白がって聞いてくれました。
「慶応ボーイの櫻井翔君のようなイケメンがいっぱいいそうだから」という動機で、慶応大への現役合格を目指すことになり、すごくワクワクしました。
ただ、塾に通うようになって、最初に受けた全国模試の偏差値は28。それまで全く勉強をやってこなかったので、いい結果なはずもない。テストの結果は全然気にならなかったですね。小学4年生のドリルから勉強をやり直しました。
一番しんどかったのは高3の夏を超えたあたり。その頃、勉強すればするほど「慶応」という壁がでっかくて分厚いことに気づいてしまったんです。「やばい。まだ全然足りない」って。
逆に言えばそれまでは遠過ぎて見えていなかった。最初は「慶応行くっしょ、私だったら行けるっしょ」という気持ちでした。現実味を帯びてきてプレッシャーに押しつぶされそうでした。
受験が目前に迫っていたころ、焦っていた私に「いっちょ前に不安を感じるようになったか」と坪田先生が言葉をかけてくれたことは今でも鮮明に思い出します。
プレッシャーを感じるというのはもうちょっとで山を越えられるくらいのところに来ている証拠だと先生に言われ、「そうか、最初はこんなプレッシャーなんて感じなかったもんな。近くまで来てるじゃん」と思えるようになりました。
多分、慶応大を受験する1人の受験生として正しい道を歩んだ、それ相応の実力がついてきたのかなというのがそれくらいの時期だったんだと思います。
勉強を続けていく中で、併願校として考えていた大学は全国模試でBやAの判定が取れるようになりましたが、慶応は一度もそんな判定が出たことはなく、長い間E判定でした。
学校の先生はE判定を見ると「他の学校に変えたら」という人も多いようですが、絶対にだめ。目指すべきゴールは合格することだけど、手前のゴールは過去問で合格ラインを確実に取ること。模試は試験問題とは全然違うので、全国模試の評価を気にし過ぎる必要はないですよ。
私にとって大学受験は、「世界を広げること」に等しかった。学生のうちに触れられる世界なんて限られているのにその小さく狭い世界のなかで、自分の人生を左右する判断基準や選択肢を選んでしまいがちです。
前例も何もないゼロの場所から将来の道筋を生み出すことは難しく、ロールモデルが必要だと思うんです。私にとってのロールモデルは坪田先生だった。「こんな面白い大人になりたい」と思ったんです。いろんなロールモデルに出会うことで、こういう世界もいいな、こういう風になれたらいいなと世界が広がっていくんじゃないかな。
受験は環境選びだと思っていて、どういう環境に身を置くかで自分は大きく変わる。学歴うんぬんではなく、私もあのまま大学受験をせず名古屋にいたら自分の価値観は全く別人格だったのではないかと思うんです。
勉強に才能は必要ないけれど、強いて言うなら自分の目標に対して強い動機を持ち、正しい努力を継続してできる人が才能のある人。「イケメンの慶応ボーイがいるところに行きたい!」という私のような動機でもいいんです。
私には何もなかった。別にやりたいこともなく、ただ人生を楽しくしたいという欲が人より強かっただけ。でも、だからこそ大学受験に飛び込めたし、周りの人に恵まれながら自分で道を開いてこられた実感があります。
受験の結果がどうであれ、挑戦したことに誇りを持ってほしい。死ぬ気で努力した経験は皆さんの一生の宝になるはずです。(聞き手 木ノ下めぐみ)
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こばやし・さやか 1988年3月生まれ、名古屋市出身。中学、高校で学年ビリになりながらも慶應義塾大に現役合格を果たした経験が書籍化されベストセラーとなる。近著に「ビリギャルが、またビリになった日ー勉強が大嫌いだった私が、34歳で米国名門大学院に行くまでー」