4月26日、巨人戦の試合前、掛布は東京・文京区の順天堂大学病院で左手首の精密検査を受けた。結果は最悪の「骨折」。左手首の尺骨の末端に小さな傷があり、数ミリのひびが入っていた。
ところが球団はこの〝事実〟を報道陣に隠そうとしたのである。球団の発表は「炎症」だった。
「骨には異常ありませんでした。ただ、左手首の炎症がひどく巨人戦の出場は見合わせることにしました」
病院側にも症状を公表するのを抑え、掛布にも口止めを図った。
「骨にひび? 分かりません。球団の発表している通りでしょう。ただ、痛みもひどいし、このままでは…」
掛布は苦しそうに下を向いた。球団は事実を隠し通せるとでも思ったのだろうか。事実は翌日に漏れた。診察を終えた掛布が千葉の実家に「骨折」を知らせていたのである。
「きのう(26日)の2時ごろ電話があり、〝骨にひびが入っているので巨人戦には出られないよ〟って」(母・テイ子さん)
それでも球団は認めなかった。ようやく「骨折」の事実を発表したのは、5月2日、東京遠征から戻り、厚生年金病院での再検査を受けた後のことだった。
「これでスッキリしました。もう、みなさんに隠さなくてもいいんですから」
これまでの添え木とテーピングから、がっしりとギプスで固定された手首は見るからに痛々しい。だが、報道陣に向かった掛布の表情にはどこかホッとした明るさがあった。
それにしてもなぜ、球団は骨折の事実を隠そうとしたのだろうか。平本先輩はこう解説した。
「今回の件は球団に落ち度があったからな。厚生年金病院の黒津先生の〝安静に〟という指示があったにもかかわらず、我慢できずに掛布を起用して症状を悪化させた。使わずに静養させていれば〝骨折〟は治まっていたかもしれん。そんな負い目があったのかもしれない」
チームの中には広島で負傷した時点で「骨折」を疑っていた人もいた。掛布が24日のヤクルト戦に出場したとき「ライナーがきたら捕らずに逃げろ」と指示を出していたという。
この昭和52年の「骨折事件」で掛布の左手首には『ガングリオン』と呼ばれるこぶができた。そして、戦列に復帰した掛布は手首保護のために「31」と刺繡(ししゅう)の入ったリストバンドを着けるようになったのである。(敬称略)