古墳時代中期(4世紀末~5世紀初頭)で、北陸地方最大の前方後円墳と確認された六呂瀬山古墳群(福井県坂井市)の1号墳。祭祀(さいし)場とみられる張り出し部(造り出し)から、格式が高い家形埴輪(はにわ)の棟飾り「鰹木(かつおぎ)」が見つかっており、越前(福井県北東部)を中心に北陸地方に強い影響力を持った首長の墓とみられている。この地域には、継体天皇(?~531年)の母の生家があり、即位するまでの半世紀、この地に居住し、越前などを治めていたことが知られる。地方から迎えられて即位するという稀有(けう)な形となった継体天皇。被葬者は継体天皇につながる人物との見方が強く、その子孫が継体天皇の活動を支えてきたのかもしれない。
食物模した土製品
六呂瀬山古墳群(国の史跡)は二基の前方後円墳(1、3号墳)と二基の方墳(2、4号墳)で構成され、最大規模の1号墳の調査は昭和53(1978)年度以降、随時行われてきた。坂井市教委によって昨年10~11月に実施された調査では、前方部の裾の位置を確認し、全長が143メートルと確定。従来同規模とされてきた秋常山古墳群(石川県能美市)の1号墳(前方後円墳、全長約140メートル)を上回って、北陸地方で最大の前方後円墳と判明した。