平成18年に101歳で亡くなった三浦敬三さんは、日本スキー界の草分けの一人だった。北海道大学時代にスキーを始めた三浦さんは卒業後、青森営林署に勤務する。冬になって八甲田山に入り猛吹雪に遭うと、たちまち腰から胸まで雪で埋まってしまう。
▼一方で太陽の光を反射して輝く樹氷は、この世のものとは思えない光景だったという。いわゆる山岳スキーが「バックカントリースキー」と名前を変えて、もてはやされるようになったのは20年ほど前からだ。
▼整備されたゲレンデを離れ、真っ白な新雪と美しい景色を満喫する。新たなスキーの楽しみ方は、欧米からもたらされた。スキー人気の低迷に歯止めをかけた功績は大きく、インバウンド客を呼び込む貴重な観光資源でもある。ただし自然の猛威に直接触れるだけに、以前から安全対策が大きな課題となってきた。