小林繁伝

「絶対安静」の掛布を起用 トラが犯した失策 虎番疾風録其の四(154)

ヤクルト戦で6試合ぶりに先発出場し、ヒットを放つ阪神の掛布=昭和52年4月24日、甲子園球場
ヤクルト戦で6試合ぶりに先発出場し、ヒットを放つ阪神の掛布=昭和52年4月24日、甲子園球場

手首から痛みが引かない。4月19日、広島遠征から戻った掛布は大阪・福島区の厚生年金病院で黒津整形外科医長の診察を受けた。指示は「絶対安静」。左手首をテープで固定し、その日からの巨人戦(甲子園)はベンチ入りだけ。

掛布の出ない猛虎打線は元気がなかった。巨人に3連敗。第3戦、2―3で迎えた九回2死、代打遠井が四球で歩くと、スタンドから「カ・ケ・フ」コールが沸き起こった。

阪神は23日のヤクルト戦にも敗れ4連敗。そして24日のダブルヘッダー。ついに我慢しきれなくなった首脳陣は、七回1死の場面で掛布を「代打」で出場させた。大歓声に包まれる甲子園球場。5試合ぶりの打席。二ゴロ失で出塁するとそのまま守備へ。そして九回には右翼へもう少しでホームランかと思われる大飛球。

「あれが精いっぱいです。左手の押し込みができないから…。痛み? 少しあるけど、このくらいなら」

すると第2試合、首脳陣は「3番、サード」で先発出場させた。


◇4月24日 第2試合 甲子園球場

ヤクルト 031 000 000=4

阪 神 001 100 100=3

(勝)鈴木2勝1敗 〔敗〕深沢1敗

(S)梶間1敗1S

(本)大杉④(安仁屋)遠井①(鈴木)


一回=左直、三回=中前安打、五回=二直、八回=中前安打。掛布は気力で2安打を放った。だが、これがいけなかった。治りかけていた左手首がまた悪化。激痛が襲ったのである。

「プレーするのはまだ無理だったんだ。球団には口を酸っぱくして〝無理は絶対にダメだ〟といっておいたのに。連敗であせったか…」

報告を聞いた厚生年金病院の黒津先生は表情をゆがめた。

なぜ、球団はそんな無理をさせたのだろう。ひと言でいえば「そんな時代だった」のだ。少々のケガでも「痛い」とは言わない。「休みたい」なんてもってのほか。〝根性〟が最優先される時代だった。千葉の実家で「悪化」を知らされた父・泰治さんも―

「えっ、また悪化? 巨人戦だし本人も出たいでしょう。24日の試合に出たのでもう大丈夫と思っていたんですが…。まぁ、少々痛くても頑張るヤツですから」

4月26日、巨人戦の試合前、掛布は東京・文京区の順天堂大学病院で左手首の精密検査を受けた。(敬称略)

■小林繁伝155

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