安全保障は空気と同じである。人は空気があるから生きていける。しかし、空気は見えず匂いもない。故に人は空気を意識せずに生きている。空気がなくなったとき、人は空気があるから生きていたと理解するが、その時はもう手遅れである。安全保障も同じである。安全が保障されているから人は普通に生活できる。安全がなければ経済もない。安全保障の利益はとてつもなく大きい。
安全保障のコスト
何らかの利益を得ようとすればコストがかかる。水も電気も安全もタダではない。安全保障は全ての国民の利益である。日本人も安全を得たければコストを負担しなければならない。ウクライナの多くの市民は安全保障、すなわち祖国と家族を守るために命を懸けている。しかし、戦争に負けた日本では、全ての戦争を邪悪なものとして否定する平和教育が浸透し、日本人は勇気、自己犠牲といった世界中の国が学校教育で重視する道徳を失い、無抵抗主義が日本人の思想を支配した。無抵抗主義に染まった日本人は犠牲を払う覚悟を失った。