日本が統治した東南アジアなどで、1941年12月の対米英開戦後も独伊の排ユダヤ政策と一線を画し、ユダヤ人を諸外国人と同等に扱う寛容な保護政策が継続されていた。ユダヤ人の保護を指示する日本外務省からの公電が英国立公文書館で確認された。背景には、人種平等精神に基づく人権政策や欧米の政治経済に対するユダヤ人の影響力への配慮があった。
日本人として最初にユダヤ人を救ったのは満州国でハルビン特務機関長を務めていた樋口季一郎陸軍中将だ。37年12月、ハルビンで開催を許可した極東ユダヤ人大会でユダヤ人の平等を保障し、パレスチナでのユダヤ人国家建設も認めた。さらに38年3月、満州との国境にあるソ連・オトポールで立ち往生していたユダヤ人難民を救出する英断を下した。