《結婚、出産、離婚…。幾多の苦難を乗り越えた。大きな支えになったのは一人娘、佐保里さんの存在…》
(離婚後は)娘と2人の母子家庭がスタートしました。娘が小さいころ、地方公演もやっていましたが、家を空けるということはしなかった。朝一番の新幹線、飛行機で行って最終で帰ってくる。子供のご飯も、お弁当も全部作っていた。途中から母(様子さん)が一緒に暮らすようになって、支えられました。仕事をしながら子育てするというのは、なかなか一人ではできないですね。
うちの子、ちょっと食べるのが遅いんです、ゆっくりというか…。だから(食べるのは)サンドイッチとか小さなのり巻きとか。中身もキュウリだけじゃなく、いろんな食材を巻いて、食べやすいように、みんなに後れを取らないようにって(笑)。ベランダで育てたプチトマトとゆで卵を潰してマヨネーズであえる。これに緑のブロッコリーも、と工夫もしました。
あるとき、「お母さん、卵はもう一生分食べたよ」って言われて。卵はつい楽だし、彩りもきれいでしょ。母のは色がないんですが、娘には評判がいい。味重視ですから。昭和の、茶色系のそぼろ弁当とかね。
《子育ては、マリア・モンテッソーリ氏(イタリアの医学博士、幼児教育)が生み出したモンテッソーリ論だった。初めて語られる真実だ》
自分から何ができるか、自立をしていく教育法の幼稚園でした。先生方から、「ハイ、並んで」という号令もない。子供たちが何をやりたいのかを大事にして教育してくださる。私はすてきだなと思ったんです。
小、中学校も自然を大事にする環境でした。小学校低学年のころはチャイムも鳴らない。各クラスの先生が1日のカリキュラムを考える。担任の先生は丘上りが好きだったので、朝から一日中、丘に上がって野(の)蒜(びる)を取ったり、植物を見ながら、どんな種類か教えてくれて理科の勉強をする。歌もそこで歌う。すごくユニークな学校で、うちの子には合っていましたね。
面白いこと、楽しいことは待っていても来ない。自分で探しに行くんだよ、というふうに育ってほしかったんです。
15歳のとき、「GCSE・A」(イギリスの教育システムによる学位認定制度。その後、2年間の高等教育で大学入学資格を取得できる)を取って、英国に留学しました。(映画の)「ハリー・ポッター」みたいな学校に入れてしまったんです。食堂も映画みたいな感じで、寄宿舎生活でした。1年目は「こんなに勉強する子は初めて」って先生が褒めてくださった。けど2年目になったら、いろんな細かいことがわかってくるようになって、何か感覚的に許せないところがあったみたい。真面目ですから…。自分が思ったことは寝ないでも達成するまで頑張っちゃう。でも、もう少しってところで帰りたいって。
《今や、さゆりさんを支える〝陰のプロデューサー〟?!》
日本の高校に編入できない。で、自由な校風の学校に入ったんですが、「あそこは自由をはき違えてる」って。でもちゃんと高校卒業資格を取った。留学していたんで英語はもう…。先生も外国人の方で興味を持ってくださって、大学への推薦も出してくれたんです。
今思えば、それでよかったんです。本当に個性的な子、ユニークに育ってくれました。いろんなものに興味を持って、よく知っている。音楽でも本でもアートでも「これ聞いて」「これ読んでみて」「これ知ってる?」って面白いものを見つけてくる。(異色コラボで)「X―Cross」というアルバムのアーティストの絡みでも、すごく彼女に影響されてます。
本当は私のそばでもっとしっかりやってくれると助かるんですけど、仕事に関わってしまうと、皆さんに気を使ったり、私が一番役に立つこと、本当のことが言えなくなるから、「自由でいたい」って。確かに刺激を与えてくれる、本音で…。それはすごくいい環境ですね。(聞き手 清水満)