6位に入賞し、彩葉ちゃんを抱きながらインタビューに応じる前田彩里=29日午後、ヤンマーフィールド長居(榎本雅弘撮影)
6位に入賞し、彩葉ちゃんを抱きながらインタビューに応じる前田彩里=29日午後、ヤンマーフィールド長居(榎本雅弘撮影)

出産後、運命に導かれるように浪速路に帰ってきた。29日に行われた「第42回大阪国際女子マラソン」(産経新聞社など主催、奥村組協賛)。6位入賞を果たした前田彩里(さいり)(31)=ダイハツ=は、育児と競技の両立の難しさに揺れた時期もあったが、かつて味わった悔しさと「もう一度レースに」という思いが原動力となった。ママで五輪-。たくましくなった前田が新たな夢へ走り出した。

約4年ぶりのフルマラソンとなったこの日、前田は力強く腕を振り、日本人4位でフィニッシュ。2024年パリ五輪の代表選考会として10月に開催される「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権を獲得した。

9年ぶりの出場となった大阪国際女子マラソンは、初めて42・195キロを走った思い出の舞台。当時大学生だった前田は3位に入り、以降注目を浴びるきっかけとなった。

この間、私生活にも大きな変化があった。平成30年に結婚。令和2年12月には長女の彩葉(いろは)ちゃん(2)を出産し、一時競技から離れた。

2、3時間おきに必要な授乳やおむつの交換。「慣れるまでしんどかった」と話す。それでも産後約3カ月で、復帰に向けた調整を始めた。育児と練習の両立は「試行錯誤の連続」というが、産休前に直面した悔しさが前田を駆り立てていた。

期待されていた2016年リオデジャネイロ五輪の選考会を故障で欠場。東京五輪出場をかけたMGCにも、右太もものけがで出場できなかったのだ。

相次ぐ挫折があったからこそ「(競技を)やめる選択肢はなかった」。娘が1歳になるころにはチームへ本格復帰。「いいイメージを持っていた」という初マラソンの舞台、大阪を復帰レースに選んだ。

彩葉ちゃんの存在はランナーとしての成長にもつながった。以前はプライベートでも常に競技が頭にあったが、今は練習以外の時間は娘とずっと一緒。「オンオフの切り替えができるようになり、メンタル面でもタフになった。動じなくなった」と胸を張る。

運命のこの日、彩葉ちゃんは家族とともに沿道から声援を送った。レース中に気づいた前田も、手を振ってそれに応えた。

目標だったMGC出場権を獲得し、「ほっとした。次のチャレンジに向けて一歩進めたかな」。鮮やかな再スタートを切った前田が、大阪からもう一度世界のひのき舞台を見据える。(藤木祥平、西山瑞穂)

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