経済協力開発機構(OECD)の調査団が今月、持続可能な農村づくりを視察するため山形県を訪れた。国内では唯一、山形が選ばれた理由は、住民参加型の「地域づくりワークショップ」を軸としたユニークな手法が注目されたため。仕掛け人は、元県職員で「農村着火型プランナー」の高橋信博さん(61)。地域の人々をその気にさせ、地域に消えない火をともす「着火マン」だ。
ワークショップ
雪の晴れ間の昼下がり、山形県の中央部、西川町の交流センターに町民らが三々五々集まってきた。
1月21日に開かれた「まちづくり町民会議」。ストーブがあちこちに置かれた体育館で、町民ら約60人は10班に分かれ町の第7次総合計画づくりに参加した。
町民らから寄せられたまちづくりへの提案605件を、町が計画の素案にまとめ、町民へ提示。進行役の高橋さんはマイクを手に「町役場の案が町民の提案を反映しているか。町民が参加、協力したくなるか。10点満点で点数をつけてください」と呼びかけた。
参加者は、目の前に広げられた模造紙に点数や改善案を書いた付箋紙を貼りつけていく。こうした住民参加型の手法は、ワークショップと呼ばれる。主婦の佐藤芙美さん(67)は「町の総合計画といっても、なかなか縁がなかったが、こういう場があると参加しやすい」と話した。
町民会議に先立つ1月10~12日には、OECD調査団が山形を訪れ、高橋さんが関わる朝日町の棚田を視察。ワークショップ形式での住民の話し合いにより、棚田の保全が図られているとの説明を受けた。
調査は日本、米国、カナダなど5カ国で行われ、国内では山形県が唯一選ばれた。調査団のエンリケ・ガルシラソ農村政策ユニット長(49)は、高橋さんが仕掛ける地域づくりについて「素晴らしい景観が守られている画期的な例だ」と評価した。
反対者が出る前に
ワークショップは、住民参加型の地域づくりの手法。もともとは「作業場」を意味する英語で、戦後の米国で広がった。昭和47年、同県飯豊(いいで)町で始まった町の総合計画づくり「椿講(つばきこう)」は、わが国初のワークショップと呼ばれる。
高橋さんは、県職員として山形を中心に全国1千以上の集落で地域づくりに携わったという、知る人ぞ知る存在。地域づくりにワークショップの手法を取り入れたきっかけは、20代だった昭和50年代、農業土木の技術者として、反対住民との合意形成に手探りで取り組んだことだったという。
反対者が多くて事業が全く進められない地域を担当したことがあった。500軒の集落を一軒一軒訪ね、理由を聞いて回った。
事業に賛成の人。反対の人。それぞれ聞いていくと、実はお互いにそれほど隔たりはないことが分かってきた。両者の事情をすり合わせ、互いが納得できる工法や完成の形を提案したら、反対者が激減した。
「無理やり事業を進めるよりも、事前の準備が大事だと分かった。反対者が出る前に何らかの話し合いができればいいと考えて、やり方を磨いていった」
手探りで始めた地域の合意形成の進め方が、ワークショップと呼ばれる米国生まれの手法と重なることは、ずっとあとになって研究者から教えられた。
最後に残るのは
高橋さんが県庁在職中から力を入れてきたのが、地域づくりを支える人材の育成だ。平成20年度から県独自の人材研修・認定制度「農山漁村地域づくりプランナー」を始め、これまで25人が認定された。
この制度がモデルの一つとなって、農林水産省は令和3年度から、地域づくり人材を育てる研修制度「農村プロデューサー養成講座」を開講。初年度は44人が修了し、2年目の今年は約100人が修了見込みで、来年度も開講予定だ。
今回、OECDが高橋さんの活動に着目したのも、同講座の事務局を担当した同省職員がその後、OECDへ出向した縁などからだったという。
こうした地域づくり人材として、高橋さんが期待を寄せるのは、主に市町村の職員だ。高橋さんはその理由をこう話す。
「なぜなら、その地域に最後まで残るのは、その地域で生まれ育った市町村職員だから」
西川町のワークショップでも、10班に分かれた各テーブルに町職員がつき、人材育成研修の一環として進行役を務めた。そろいの紺色ジャージーを着た役場職員たちの奮闘ぶりを、高橋さんが見守っていた。
(柏崎幸三)