《歌唱だけではない。芝居とコンサートという歌芝居公演も全力投球する。初の座長公演は平成13年5月、1カ月間の明治座特別公演「千年の恋」。上田秋成「雨月物語」の世界…》
やるんだったら、中途半端はない。ちゃんと皆さんに楽しんでいただきたい。何となく…はねぇ。そのころの舞台では、10キロ以上痩せちゃって、1カ月公演で…。カツラも合わなくなるほど、それくらい気合を入れてやりました。今思うと、何であんなにやっていたんだろう、ま、若かったですから(笑)。
この世界には〝歌い手芝居〟という言葉があるんです。私たちにはあまり心地いい言葉に聞こえなかった。「どうせ、歌のおかずみたいな、つまらない感じの芝居をやるんでしょ。だから役者さんも、歌い手芝居には出ないよ」みたいな。それがちょっと悔しくって。どちらもちゃんとやりたいなって。手抜きができない性格なんです。
《徹底した芝居での役作り。23年の御園座(名古屋)で「夢売り瞽女(ごぜ)」(瞽女は盲目の女性芸能者を意味する歴史的名称)に挑戦…》
新潟まで、瞽女三味線のお稽古で通いましたね。萱森直子さんという3種類の節回しで祭文松坂(さいもんまつざか)=祝い歌=を歌い分ける、最後の瞽女さんがいらっしゃった。彼女に三味線、祭文、瞽女漫才の稽古をつけていただきました。彼女の身のこなし、ちょっとしたしぐさ、所作も学ばせていただきました。
《三味線、浪曲、講談、義太夫…の挑戦だけでなく、25年の明治座特別公演「歌芝居 芝浜~おんなの心意気~」では、古典落語の演目のひとつ「芝浜」を披露した》
噺家(はなしか)さんの落語で幕が開きます。ひとしきり(私が)芝浜のつかみをやっているうちに、舞台の後ろがパーンと〝振り落とし〟(瞬間的に幕を落とす仕掛け)になったら、魚河岸に変わるというシーンです。そこから芝居が始まっていくんですね。
落語も修業しましたよ。立川志の輔師匠の所に何度も通いました。高座名もあります。『石川亭さゆの輔』です。「よく頑張ったね」と志の輔さんから大きな座布団を頂きましたよ、ふふふ…。でも(教える方は)みんな大変ですよね、何にも知らないのに、よく来たもんだって。
《舞台といえば石川さんのコンサートのステージは、必ず奥から手前に傾斜する〝斜め舞台〟になっている。なぜ?》
ブロードウェーの舞台を参考にしました。コロナ禍でこのところ行けてないんですが、ニューヨークのブロードウェーが大好きで。エンターテインメントの宝庫でしょ、毎年見に行ってました。ずいぶん前、「ミス・サイゴン」(平成3年初演)を見たんです。
(サイゴン陥落に伴う米軍撤退シーンなど迫力満点の)物語もすごいんですが、全開帳(全面床が斜面になっているセット)で芝居をやっていた。舞台が斜めになっていたというのがすごかった。(俳優の)足の先まですべてお客さまに見える。会場のどこからでも、細部まで全部見えるんです。
「これだな!」って。私もこれをやろうって。毎年、青山劇場(27年閉館)で「石川さゆり音楽会」をやっていた。その舞台で、初めて全開帳をやったんです。それからどんどんエスカレートして、開帳も動けるように、演出担当といろいろ話して作った。(開帳を)最初は落としておいて、ガーっと一気に持ち上げたり、部分的に形を変えてみたり…。そうすることで頭のてっぺんからつま先まで、全部見ていただける。斜めになっていると、立っている床からの照明が全身に届くんですよ。
歌の世界でも、すべて包んでもらえる。ブロードウェーで作品を見るときは、自分のステージで何かできるかな、と思いながらですね。
《自らを「表現者」と石川さんはいう。歌も舞台も全力で向かうプライドである》
(聞き手 清水満)