小林繁伝

掛布と王の共通点 遠くへ飛ばす一本足打法 虎番疾風録其の四(152)

バッティング談義をする巨人の王(左)と阪神の掛布=昭和54年11月、西宮球場
バッティング談義をする巨人の王(左)と阪神の掛布=昭和54年11月、西宮球場

もう少し余談を続けよう。

掛布と「ON」―。長嶋との〝逸話〟は多い。そのひとつ『電話スイング』は有名だ。調子を落とし悩んでいた掛布の自宅にある日、長嶋から電話がかかってきた。話をしているうちに「バットを振ってみろ」といわれた。

「えっ、いまですか?」「そう、いまだ」。掛布は受話器を置いてバットを振った。受話器の向こうから「もっと、もっと鋭く」と声が聞こえる。掛布は真剣に振った。そして電話に出ると―。

「いい、いい音だ。そのスイングだ。もう大丈夫だ」

掛布はスランプから脱出した。

王との間にはそんな〝逸話〟はない。だが、「球場で会ったときは話もするし、よくバッティングのアドバイスをしてもらった」という。

筆者が「トラ番」になって3年目の昭和57年2月、高知・安芸キャンプでのこと。チーム全員による夜間練習が終わると、掛布はバット1本持って宿舎「東陽館」裏の誰も通らない道路に出る。電柱に付いた裸電球の薄明かりの下で独りバットを振る。これが入団時からの掛布の日課。見ている記者は他には誰もいない。すると―。

右足をスーッと上げ〝一本足〟でバットを構えた。すぐには振らない。10秒、20秒…静かに息を整え、そして「ハッ!」と鋭く息を吐き、バットを振る。いや、空気を「斬る」のだ。毎夜約1時間、掛布の「一本足打法」は続いた。

なぜ、一本足打法なのか…。その答えを掛布ではなく当時、藤田体制下で「助監督」を務めていた王に求めた。甲子園球場での巨人戦、打撃練習を見ている王助監督を直撃した。

「ほう、掛布君が一本足打法をね…」

王は少しほほ笑んだ。

「ボクが一本足打法を始めたのは、右肩の開きが早くて、ボールを手元まで引き寄せられなかったからなんだ。右足を上げることで左足に十分体重を乗せ、引き付けて、こうやってバットを振る」

なんと王助監督は筆者を相手に持っていたノックバットを振り始めた。

「掛布君もきっかけは同じだと思うよ。それに目的もね」

「目的とは?」

「遠くへ飛ばすこと。違うのはボクはそれを試合で使い、掛布君は練習で使っている―ということ。基本は同じさ」

その年、掛布は35ホーマーを放ち、2度目の「本塁打王」に輝いた。55年の半月板損傷から2年後のことである。(敬称略)

■小林繁伝153

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