「新しい戦前」という言葉が取り沙汰されている。昨年末のテレビ番組で、タレントのタモリが今年はどんな年になるかを問われて答えたものだ。インターネット上ではこの発言を防衛費増額反対や政権批判のメッセージだと我田引水的に解釈して利用する向きも多いが、実際のところ真意は不明である。
ただ、日本を取り巻く国際環境が、台湾有事の可能性をはじめ平成期とはレベルの異なる軍事的緊張下にあるのは確かであり、その空気感を意識した発言であるのは間違いないだろう。そして現代日本が米国を中心とする西側陣営の一員であることをかんがみれば、状況理解のためのアナロジーとしては昭和戦前期よりも冷戦期の方が適当かもしれない。数十年ぶりに、自国が「前線国家」であることを直視せざるを得ない時代が日本に戻ってきたのだ。
「正論」の対談「緊密な日米協力が中国を悩ませる」では、防衛研究所の山口信治と米ハドソン研究所の村野将という優れた安全保障専門家同士が、台湾有事の可能性と抑止のあり方を論じる。
一昨年4月、「台湾海峡の平和と安定」を明記した日米共同声明が出されたころから、中国は「非常に日本の関与を気にするようになりました」(山口)。台湾有事で米軍が行動する際の重要拠点となるのが在日米軍基地だが、「これを攻撃するかどうか。この点は中国からすると意外と判断が難しい。攻撃するとなった場合に戦争は自動的に日本にも拡大します」(同)。そこで浮上するのが「別の手段。例えば、心理的恫喝(どうかつ)や影響力工作などを駆使して、日本国民が台湾には関わりたくないと思うような状況を作り出すということも視野に入ります。つまり、日本はウクライナ戦争におけるポーランドのような立場に置かれる」(村野)。そのとき、徹底的なウクライナ支援を決めたポーランドと同様の決断が日本に下せるのか。仮に恫喝に屈して台湾有事への関与を拒否した場合、日米同盟はもはや存続し得ないし、やがて奪取した台湾を軍事拠点とした中国と独力で対(たい)峙(じ)することになるだろう。
視線を国内に移すと、現在の日本政治の見取り図としてすこぶる興味深いのが、「安倍『一強』は変容しつつある一方、自民党『一強』は強固になっている」とみる中北浩爾「ポスト『一強』政治の選択肢」(「世界」)。
政治学者の中北は、権力の分散―集中を縦軸、政権交代可能性の有無を横軸に置いた四象限グラフを提示し、現状を「政権交代の可能性が乏しい一方、政権内部の権力分散が顕著」である「ネオ五五年体制」と位置付ける。この体制でしばしば起きるのが、政権党の中で派閥の領袖(りょうしゅう)が首相の座を争う「疑似政権交代」で、野党共闘が行き詰まっている以上、「仮に岸田政権が倒れれば、野党への政権交代ではなく、自民党内から新たな首相が選出される疑似政権交代が起きるであろう」。
大正12(1923)年1月創刊の「文芸春秋」は100周年ということで、「2月特大号」と銘打つ。政治思想史家の片山杜秀による記念企画「文芸春秋が報じた論客の肉声」は、100年間に掲載された膨大な寄稿から8編を選び出し、アクロバチックに結ぶ文章芸が読みどころ。結びに置かれるのは、戦後保守の代表的評論家である福田恆存が、冷戦ただ中の昭和48~49年に連載した「日米両国民に訴える」だ。
当時、米国はベトナム戦争に倦(う)み疲れて撤退に至り、内向き傾向と中ソに対する後退姿勢が露(あら)わになっていた。しかし現実問題として日本の防衛は米国との同盟なしには成り立たず、その維持には不断の努力を要する。そうした認識から福田は、日米安保の双務化と、米国が世界で務める軍事的役割の一部を日本が肩代わりする必要性を訴えた。片山はこう評する。「半世紀が過ぎてみれば、『日米両国民に訴える』での論題がそっくりそのまま、今日の日本の関心事になっていると断定せざるを得ない」
もう一つ同誌から、日本思想史家の先崎彰容による「新・富国強兵論」もまた、福田に言及する。55年、保守に転向して「核の選択―日本よ国家たれ―」を世に問うた清水幾太郎を厳しく批判した福田の立場について、日本の身の丈にあった富国強兵策の支持という文脈で「明治期の中江兆民や谷干城・陸羯南のそれと同じ」と位置付ける思想史的な読みがおもしろい。
そして結論は、日本には「決断力の遅さ」という大きな問題があるとして、今後いくら防衛力を強化したとしても「その使用について的確な決断と実行ができなければ、他国への抑止にならない。つまり日本人論を議論しないかぎり、抑止もできないのである」とする。具体的に言えば、台湾有事の際に国民が動揺して判断不能に陥るようでは困る、ということだろう。
先崎は、欧米中心の西側の一員としてはやや異質な「わが国の国柄を自問自答」し、「独自の価値基準」を持つことを促す。だが、それは必ずしも「普遍」と対立するものではない。日本政治思想史家の苅部直の「十九世紀の日本と『文明』の知」(「Voice」)を読めば、西洋の政治制度を「よいもの」と判断して素直に受け入れた明治の文明開化は、江戸後期の社会と文化の変動に伴う「智徳」の向上によって準備されていたことがわかる。たとえば、幕末の儒者、横井小楠の思想をみれば、「現代における熟議デモクラシーやフェミニズムや集団安全保障の構想に通じるような問題が、すでに提起されていると読むこともできる」。現代の西側標準の価値観であるそれらは、日本の「国柄」と相いれないというわけではないのだ。
内外ともに、米ソ冷戦時代を彷(ほう)彿(ふつ)させる状況に回帰した令和日本。しかも欧州が主戦場だった往時と比べ、より脅威は直接的かつ深刻なものとなっている。いかに収まりが悪くても、「西側陣営の一員」としての責任を果たす覚悟を固めるより他に道はないだろう。(敬称略)