話の肖像画

歌手・石川さゆり<24> 人々に寄り添った昭和の名曲、現代に「復刻」

平成10年ごろ
平成10年ごろ

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《歌謡界のトップランナーになった。新たな挑戦は日本の音楽を後世に残すという〝伝承者〟だった。アルバム「二十世紀の名曲たち 第1集」を平成3年に発売。ミレニアムの年、12年まで10年間で全10集に…》


「オッペケペー節」(明治時代の流行歌)が歌謡曲の始まりといわれている。そこまで行かなくても、20世紀の、昭和に生まれた先輩方が残したあまたの名曲がある。

そのとき、日本の人たちが何を夢見て、何を志して、何を自分の生活の中で、普段のときもうれしいときも、大変なときも、歌というものを自分の横に置いて暮らしていたのかな、というのをまとめたいと思ったんです。歌は人の暮らしに寄り添っているという意味で、「二十世紀の名曲たち」というタイトルにしました。


《東海林(しょうじ)太郎さん、藤山一郎さん、淡谷のり子さん、美空ひばりさん、服部良一さんら偉大な先輩たちと〝同じ空間〟を過ごしてきた石川さんならではの選曲。〝懐メロ集〟ではない》


(第1集1曲目「蘇州夜曲」作曲者の)服部良一先生が作ったときには、シンセサイザーもあったわけではない。「こんな世界を作りたかったのよ」という音が録音できてないような気がした。当時は100%にすばらしいのですが、こういう新しい時代になって、今の音楽の感じ方で作っていけたらいいなと思ったんです。

私が信頼する渋谷森久さんという方がいました。越路吹雪さん(宝塚のトップスター、シャンソン歌手)のディレクターをやっていました。越路さんがお亡くなりになった後、歌謡界の仕事からは身を引いていたんですが、音楽に造詣が深く、「それだけ音楽のことをご存じなら、石川に教えてください」と一緒に作らせていただきました。

選曲は楽しかったです。父も母もまだ元気でしたから、子供のころ、どんな曲がはやってた? おばあちゃんは何が好きだったの?とか。スタッフにもいろいろ聞きましたよ。生活密着の歌ですからね。10枚のコンセプトはしっかりさせました。ジャケットは竹久夢二を写真にしたイメージで。全部で111曲、最終に「津軽海峡・冬景色」。先輩方と脈々と連なった中に、自分の歌も入ることができたらいいなという思いを、ちょっとだけのせていただきました。


《伝承と自分の声探し…》


日本の歌謡音楽史を残すことがテーマでしたが、自分の声探しでもありましたね。素晴らしい曲を持つ先輩方の皆さん、今と違って世界観とか、声も歌い方も個性豊かで、時代を反映する歌なんですね。(この制作に)自分も30代から始めて40代までかかったかな。歌っていくうちに声も自由自在に出せて、いろいろ探している時期だったので面白かったですよ。

例えば歌い手さんによって、この声が、この人の歌い方だっていうことも、ひとつの個性だと思う。でも石川みたいに、楽曲によっていろいろな表現をして、いろんな歌い方をするという歌い手がいてもいいと思うんです。自分の声が、ファルセット(裏声)だと、ここまで出せるのか、こんな声が自分の中にあるんだって発見がありました。

それに自分用に作られたわけじゃないですから、どう声を出していこうとか、もっと太い声が欲しいとかは自由です。歌い手はやはり声です。それを探すのに、いい楽曲を歌ってみることは役立ちましたね。いい時間だったという気がします。

ミュージシャンも名プレーヤーたちに集まってもらった。今の時代だったら、きっと先生方もこういうふうに作りたかったんじゃないかなって。チェコまで行ってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とも録音しました。これだけ長く歌わせてもらっている。自分のためだけではなく、こうやって完成させて、皆さんがまた、次につなげてくださったらいいのかなと思います。(聞き手 清水満)

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