立ち入りが許されないはずの天皇陵の頂上に「六角堂」、長い石段の左右には桜並木…。国内2番目の規模を誇る大阪府羽曳野市の応神天皇陵古墳(墳丘長425メートル)を描いた江戸時代の「河内名所図会」には、のどかな山寺を思わせる光景が広がる。南麓の社殿は、応神天皇を主祭神とする譽田(こんだ)八幡宮だ。「御陵のかたわらでお祀(まつ)りさせていただいていることは、神主冥利(みょうり)に尽きます」。同八幡宮宮司の中盛秀さん(68)は誇らしげに語る。
御陵に寄り添ってお守り
「雑人、陵上へ登ることを禁ず。過ちて登るときは神の祟(たた)りあり」。江戸時代後期の享和元(1801)年に発行された河内名所図会には、六角堂などの絵とともに、厳格な注意事項が書かれている。
六角堂は当時、同八幡宮の奥の院として後円部頂上にあった。この場所は、被葬者を納めた石室がある古墳の中心部にあたる。六角堂や石段などは、幕末から明治にかけての天皇陵の修復・整備に伴って撤去され、今は石塔が残る。