何の過失もない16歳の命は一瞬で奪われた。
平成29年2月2日午後7時過ぎ、大阪市西淀川区の大阪府道交差点。学校から自転車で帰宅途中だった高校1年の永幡望央(みお)さんは、青信号に従い横断歩道を渡った。そこに信号無視のトラックが時速約60キロで突っ込んだ。即死だった。
同年12月、運転手の裁判員裁判が大阪地裁で開かれた。「絶対に危険運転致死罪で裁かれる」。母親の倫葉(みちよ)さん(50)はそう確信していた。検察は主位的訴因に自動車運転処罰法の同罪を、それが認められなかったときの予備的訴因として過失運転致死罪を設定していた。
《赤信号殊更(ことさら)無視(自動車運転処罰法2条7号)信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為》
争点は危険運転致死罪の適用要件である「信号を殊更に無視」したといえるか。運転していた40代の男は「信号を見落とした」と過失を主張していた。
検察側にはドライブレコーダーという核となる証拠があった。トラックのカメラは前方だけでなく運転席も写していた。そこには事故直前の6秒間、一瞬視線を右に向けた以外は前を向く運転手の姿があった。現場は見通しの良い直線道路。前を見ていればおのずと信号は目に入るはず-。
さらに映像は、そこに至るまでのトラックの〝無軌道〟ぶりもあぶりだす。勤務先を出発し、事故現場まで約35分。この間、ほかの4カ所の交差点でも信号が赤に変わった直後に通過していたことが分かった。実に5回の信号無視の末に起きた事故だったのだ。
しかし大阪地裁は、映像だけでは目の焦点が信号に定まっているか不明などとして「赤信号を認識していた可能性は高いが、間違いないとまで判断できない」と指摘。「殊更無視」とは言い切れないとして予備的訴因の過失致死罪を適用し、求刑の懲役8年を大幅に下回る禁錮2年6月を言い渡した。
「交通違反を繰り返し、その証拠映像もあるのに、なぜ『危険運転』にならないのか」。倫葉さんは到底納得いかなかったが、検察側が控訴を見送ったため、その結論を受け入れるしかなかった。
望央さんは事故の際、イヤホンを耳にすることもスマートフォンを手にすることもなく、自転車横断帯を通行していた。それなのに、順法意識の低い運転手に未来を絶たれた。「この事故の本質が『過失』で表せるはずがない。命はそんなに軽いものなのか」
運転手はすでに刑期を終えて社会復帰している。「私は娘と二度と買い物に行くこともできないのに」と時間経過にがくぜんとする。街角で自身と同世代の母娘とすれ違うたび、やりきれなさが募る。
事故後、弔問に訪れた望央さんの多くの友人が、倫葉さんに感謝の言葉を伝えてきた。
「仲間外れにされたときに、そばにいてくれた」
「学校を休みがちな時期に気にかけてくれた」
望央さんは中学校の卒業文集に「辛いときこそ笑顔!笑っていると幸せは来る」と記していた。
同学年の数十人の友人が笑顔で納まった集合写真がある。高校生らしいその一枚は、実は望央さんの告別式の会場で撮影された。それまで号泣していた友人たちが望央さんの言葉や生き方を思い、涙をぬぐってポーズを取った。
「私も娘の笑顔にたくさん支えられた。恥ずかしい生き方はできない」。望央さんが残した言葉と遺影近くに置いたこの集合写真が、負の感情に押し潰されそうになる日々を支えてくれた。
事故現場で望央さんを救助しようとしてくれた目撃者もいる。その人もショックを受けただろう。「被害者は私たち家族だけではない」。一つの死亡事故が、どれだけ多くの人を傷つけるか。過失という概念の理不尽さを、思わずにいられない。
立証に立ちはだかる「殊更」
なぜドライブレコーダーで信号無視が明白になったのに、危険運転致死罪が適用されなかったのか。検察の立証に立ちはだかったのが条文にある「殊更」の2文字だ。
信号を殊更に無視したというためには、事故時の信号が赤だったことを証明するだけでは足りず、運転手が「およそ赤色信号に従う意思のない」(平成20年10月16日最高裁決定)ことを証明しなければならない。
そして、レコーダーに記録された事故前4回の信号無視は結果的に、運転手に有利な証拠にもなった。4回はいずれも、信号が赤に変わった直後に交差点を通過。一方、赤になってある程度時間が経過した別の交差点では停車していた。
現場交差点では、信号が赤になってからトラックが停止線に到着するまで6秒の時間があった。赤になるかならないかのタイミングで交差点に進入した過去4回の信号無視とは状況が異なるため、「信号を見落とした」という運転手の主張に沿うものと評価することも可能だったのだ。
大阪地裁判決はこうした当日の走行状況から「赤信号を認識した上で現場交差点を通過しようとしたというのは、唐突で不自然」と指摘。赤信号の確定的認識が認められず、従う意思がなかったとはいえないと結論づけた。
別の裁判例では、赤信号の確定的認識が認められながら、同罪の適用が否定されたことも。平成27年に千葉市で起きた死亡事故では、運転手が赤信号に気付いたものの「急ブレーキをかけるより、そのまま進んだほうが安全だと思った」と供述。この場合も赤信号に従う意思がなかったとはいえず、殊更無視には当たらないとして千葉地裁は過失致死罪を選択している。(野々山暢)