フルスイング貫いた本塁打へのこだわり 死去の門田さん

始球式のイベントで顔を揃えた(左から)王貞治さん、野村克也さん、門田博光さん=2013年8月
始球式のイベントで顔を揃えた(左から)王貞治さん、野村克也さん、門田博光さん=2013年8月

これほど本塁打にこだわった打者はいない。王貞治さん、野村克也さんに次ぐプロ野球歴代3位の567本塁打を放った門田博光さんが死去したことが24日、分かった。74歳だった。23年間、最後までフルスイングを貫き通したプロ野球人生だった。

南海(現ソフトバンク)時代、内臓もよじれんばかりの大きなスイングを見かねた当時の野村監督が、巨人とのオープン戦前、王さんにアドバイスを求めた。「ヒットの延長がホームランだよ」と諭す世界の本塁打王を前に、門田さんは「ホームランの当たり損ねがヒット」と自らの打撃哲学を譲らなかった。

野村監督とはその後も打撃理論をめぐって、しばしば衝突した。しかし新人時代、本拠地大阪球場の一塁側ベンチ内の鏡に映る「左打者野村」の打撃フォームから、軸足への体重の乗せ方と球を捉える間を学んだ逸話は有名だ。

入団当初は走攻守3拍子そろった選手として期待されたが、コーチにも内緒で長距離打者へのモデルチェンジに取り組んだ。当時は筋肉が硬くなると敬遠されていたウエートトレーニングが、満身の力を込めて球をたたき潰す独特の打法の原点となった。

プロ12年目の1981年、44本塁打で初の本塁打王を獲得。83年もホームランキングに輝き、40歳を迎えた88年、門田さんのバットはさらにすごみを増した。130試合にフル出場し、44本塁打、125打点で2冠王の快挙を達成。史上最年長で最優秀選手(MVP)にも選ばれ、「不惑」はこの年の流行語にもなった。

現役生活にピリオドを打ったのは、ダイエー(現ソフトバンク)に移籍して2年目の92年。平和台球場での近鉄戦で野茂英雄の剛速球に豪快なフルスイングで挑んだものの、三球三振を喫した瞬間に引退を決意した。

79年の春季キャンプで野球生命を絶たれかねない右アキレス腱断裂のアクシデントに見舞われながら、見事に復活した門田さん。「もう右足は無理がきかんから、全力で走らんでもいいように一発だけを狙う。ホームランは男のロマンや」と豪語した。放物線を描いてスタンドに消えていく打球を全ての打席で追い求めた不屈のアーティストが、静かに人生のバットを置いた。

「不惑の大砲」門田博光氏が死去 歴代3位の567本塁打

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