小林繁伝

大先輩の言葉「組織の人間として許されない」 虎番疾風録其の四(149)

昭和43年の日本シリーズで阪急を破って日本一になり、栄光のペナントを先頭に場内を一周する巨人の首脳陣=昭和43年10月、後楽園球場
昭和43年の日本シリーズで阪急を破って日本一になり、栄光のペナントを先頭に場内を一周する巨人の首脳陣=昭和43年10月、後楽園球場

「ボクが辞めるか、常務が職を辞するか…」という小林の発言は〝騒動〟を巻き起こした。これだけの成績を残したのだから、当然の言い分だ―と評価する者。何を若造が生意気な―と憤慨する者。そんな中で「組織論」で小林を叱ったのがV9巨人時代の投手コーチ、藤田元司(当時は評論家)だった。

「一選手が契約更改の席で球団常務に進退を求めるとは何事か。とんでもない話である。それは成績への評価うんぬんの話ではない。組織の中の人間として言ってはならない発言である」

ボクのしていることは組織の秩序を乱しているの? 小林はこの藤田の言葉にショックを受けた。そして、かつて王に尋ねた言葉「何のために野球をやっているのですか?」と自分に問うた。

「チームのため、ファンのために野球をやっているんじゃないのか。私利私欲のためにやっているのか―と自分に問うているうちに、なんだか自分が恥ずかしくなってしまった」

キャンプ出発前の1月28日、4度目の交渉の席で小林は佐伯常務に頭を下げた。そして、5分でハンコを押して部屋を出た。「来年からは一発でサインします」。待ち構えていた記者団に小林は照れくさそうに答えた。

余談だが、この〝騒動〟を当時のスポーツ紙で検索すると、小林が球団から提示された「金額」が違うのである。新聞によると『小林は120%アップの960万円(推定)を保留した』となっている。ところが小林の証言では当時780万円もらっており、球団の提示額は500万円増の1280万円。300万円以上の誤差があるのである。

実は当時、どの球団でも選手の年俸は〝マル秘〟扱い。交渉後に会見に臨む選手には「本当の額を言わないように。記者には少なめでにおわせておけ」などと指示していた。だから記事には必ず金額のあとに(推定)が付く。

昭和51年12月24日、阪神の掛布雅之が契約を更改した。当時の新聞によると『128%アップの960万円』とある。大台の1千万円に惜しくも届かなかった。だが、実際は1千万円を大きく超えていたという。

「球団社長から〝記者会見では超えなかったことにしておけ〟といわれたんだ。入団3年目だしね。プロってそんなものか―と思った」とは掛布の回想。

数年後、その誤差が1千万円以上になり、紙面上の年俸の〝修正〟が行われたのである。(敬称略)

■小林繁伝150

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